穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

酪農王国への歩み


 北海道へ行くと、停車場でも旅館でも、あらゆる施設が隙あらば牛乳を飲ませようとする――。


 毎日新聞に籍を置く、とある記者の弁である。


 昭和三年、取材旅行を総括して、だ。

 

 

旭川近郊、平手牧場)

 


 試される大地に酪農王国を築き上げんと、たゆまぬ努力、営為があった。


 地元民のそういう熱気に押されてか、道庁もなかなか味なことをやっている。その消費量を伸ばすため、換言すれば日本人にもっと牛肉を味わわせ、乳を鯨飲させるため、なんと日本書紀』の権威を借りて宣伝の用に充てたのだ。


 なんでも神武天皇の巻中に、こういうくだりがあるそうだ。「秋八月甲午の朔乙未に牛酒を設け以って皇師を労饗す。天皇其酒宍を以って軍卒に斑賜す」云々と。


 またその後に「牛は稼職のもと、多く殺すべからず」との仰せが出ており、これはつまり逆説的に、態々言葉にして禁じなければならないほど牛を殺して喰う奴が多く、日本人はそれこそ神代のむかしから牛を常食にしていたのだと、そんな具合いに論理を展開させてゆく。

 

 かつての美風、日本人本来の姿を取り戻すには、鎌倉以来、永きに及んだ武士の支配を打ち破り、一君万民の王政復古が成し遂げられた今日こんにちほど好適な機はありえない。さあ、どんどん牛を味わおうと、そういう結論に漕ぎ着ける。

 

 

真駒内牧舎)

 


 半ば朽ちかけた書物を紐解き、ヤケシミまみれの紙面から、こういう蒼古たる文章を取り出してきて最新式の宣伝術に落とし込む。その一連の作業には、如何にも戦前・昭和らしさ・・・が躍如としていて趣深い。


 そういえばウィンタースポーツを盛り上げるにあたっても、秩父宮の行啓を、道庁は奇貨とし大いに活用したものだ。


 皇族と試される大地との関係は、存外深く幅広い。

 

 

北海道庁

 


 ときに私の手元には、『農業事物起原集成』の大著がある。


 昭和十年、大野史朗著。


 昭和五十三年に青史社から、


 平成十六年にクレス出版から、


 それぞれ復刊されている点、内容については折り紙つきといっていい。

 

 

 むろん、牛についても触れている。せっかくなので、一部を以下に引用しよう。

 


 我国畜牛の起源に就いては諸説区々であり、何等確説なく只わずかに日本人種の成立、外国との交通状態及び神話伝説等により推測し得るに過ぎないのである。(中略)古語拾遺に「昔大地主神おおとこぬしのかみ田を営むの日牛を以て田人に食はしむ。時に御歳神みとしのかみの子其の田に至りて饗につばきて還り状を以て父に告ぐ、御歳神怒を発し蝗を以ふ田に放つ云々」とあり、同書此の蝗を除く法を御歳神の大地主神に教へ給へる条に「前略牛、肉を以て溝の口に置き男基形を作って此れに加へ云々」と在る、此れは大地主神即ち大国主命の時代既に牛を飼育し牛肉を食用に供してゐた証拠で、御歳神の怒ったのは肉食を穢となしてではなく耕作を助ける牛を殺して農民の食に充てたからであらう。然し牛肉を溝に置けとある所を見ると肉食は常に行はれ牛を殺すも平常は歳神の怒りに触れることは無かったのであらう。

 

 

 


 北海道庁の宣伝も、なるほど牽強付会ではない。

 

 

 

 

ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ