応神天皇の
百官有司、威儀を正してこれを迎え、恭しくその表文を捧呈する用意がたちどころに整えられる。咳ひとつする者のない厳かなる静寂の中、国書を読み上げる声のみが、朗々として宮城に響く。
その雰囲気が破られたのは、朗読が、
――高麗王、日本国に教ふ。
の部分に差し掛かった瞬間だった。この一節を耳にするや、ぱっと顔色を変じさせ、座を蹴って仁王立ちに立ち上がった人物がいる。
皇子は今にも「不敬至極」と叫びださんばかりの形相で、たちどころに国書を奪い、使者の面前でズタズタに引き裂いてしまったのである。
――誰が、誰に、何を教えるとほざきやがるか。
何様のつもりだこの野郎と、そう啖呵を切ったも同然の為様であった。
使節はあまりの威勢に気を呑まれ、恐懼して引き退ったとされている。
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」の文章で、中華皇帝と――宇宙の中心に君臨する唯一絶対の存在と、みずから任ずるかの君と――対等の礼をとってみせた聖徳太子。
恭順を奨めにやって来た元帝国の使いを全員処刑してのけた北条時宗。
あるいは「特に爾を封じて日本国王と為す」の一文に激怒して、再度「唐入り」の師を起こした豊臣秀吉。
大陸の至近に位置しながら、あくまで大陸勢力に頭を垂れることを拒絶して、独立不羈の気概で臨んだ男ども。菟道稚郎子もまたその系譜――先駆けに位置する者かもしれない。
なお、彼の腹違いの兄が
2019年7月6日、世界遺産に登録され、今も堺市を見下ろし続ける大仙陵古墳の主――仁徳天皇その人である。
かの陵を築けるだけの勢力を、大和朝廷が既に有していたならば、菟道稚郎子のこの態度とて、決して虚勢ではなかったろう。
実力の伴わない虚勢は滑稽だが、逆に確固たる力の裏付けさえあるのなら、それはたちまち荘厳と化すのだ。このあたりの法則は、今も昔も変わらない、一貫した物理作用に思われる。
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