穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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大日本主義者・茅原華山 ―大英帝国分割論―

 

 茅原華山かやはらかざんについては、以前鈴木三重吉の記事に於いてわずかに触れた。

 大抵の場合、この名は「民本主義」なる概念を初めて提唱した人物として登場する。


 なにせ、彼のWikipediaの冒頭にもそう書かれているほどだ。で、しばらく下にスクロールしてみると、「人物・来歴」の項目にこの男を「小日本主義者」と定義付ける記述が発見された。
 なんでも石橋湛山と同腹の、日本が大陸に有する特殊権益その一切を放棄して、内地のみの軍事負担も小さい「通商国家」となりて繁栄を謳歌しよう、と唱えたひとりと。


 しかし、私はこれに大きな疑いを抱いている。

 

 

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 確かに茅原は満洲・朝鮮の放棄を訴えていた。あれらを後生大事に抱えていたところでなんにもならぬ、大陸に「新たなる日本」を創造するなどとても不可能、所詮は夢物語に過ぎまいよとばっさり切り捨て、それどころか年々多額の負債を生み出すこの厄介な金食い虫の大荷物をさっさと放り出してしまえと喝破した。

 

 満洲は宜く放棄すべきものなり、満洲のみならず、朝鮮も亦宜く放棄すべきものなり、露国の更に来て満洲を取る可なり、更に来て朝鮮を取る更に可なり、英国はノルマンデーとブリタニーとを捨てて始めて海上に雄飛したり、露国にして鎮海湾に拠る、日本は始めて海国として自覚すべし(茅原華山著『新動中静観』262頁)

 

 これなどは茅原の筆鋒が最もふるったひとつであろう。私が当時の日本人に言ってやりたかったことのほぼ総てを見事に代弁してくれている。そうだとも、満洲も朝鮮も、纏めてロシアにくれてやればよかったのだ。そうした方がずっと判り易くて結構だったではないか。


 また、茅原は「北」を放棄せよと叫ぶ一方で、主に海軍関係者が主張していた南進論についても『南進難』と題する論文を草して反対している。


 北も駄目、南も駄目。


 ここまでならば茅原華山はどう見ても、石橋湛山と同じく内地のみを以って日本とせよと主張する小日本主義者としか思えない。

 

 

 が、そうではない。決してそうではないのだ。

 

 

 彼が明治の末あたりから、ほとんど憑かれたようにして訴えて廻った『大英帝国分割論』が「小日本主義者・茅原華山」像を完膚なきまでに粉砕している。

 簡潔に述べるとこの論に於いて茅原は、日本の執るべき道として、獨墺勢力と歩調を合わせ大英帝国を攻め滅ぼして、彼の有する植民地の数々を列強諸国で分け取りにしてしまえと述べているのだ。

 

 英国が全世界の最も善き空間を占めて居るから、他の列強が満洲だのバルカンなどで戦はねばならぬのだ、先ずオツトマン(筆者註、オスマンか)帝国を血祭りにせよ、夫れから大英帝国を血祭りにせよ、世界の現状を打破するといふのは大英帝国を打破するといふ意味だ、(中略)世界苦を癒すの途は、唯大英帝国を分割するに在り(同上、314頁)

 

 驚倒すべき激論である。
 この分割の果てに、日本は何としても豪州――オーストラリアを獲得しなければならぬと茅原は続ける。


 当時のオーストラリアの人口はおよそ600万人。あの広大な大地に、たった600万人しか住んでいないことに茅原華山は目を付けた。ここなら人口稠密でおまけに長い歴史が滲み込んでいる唐土と異なり、新日本の建設も十分可能に違いない、と。
 南進は南進でも、フィリピンやインドシナ等はスルーして、一足飛びにオーストラリアへ手をつける。無碍自在と言うべきか、茅原の頭脳は固定観念に囚われなかった。


 茅原はこれを、さかんに要路に説いて廻った。特にドイツに対しては、向こうの記者を通じて外務省に働きかけ、相当高いところにまで接触を図っていた形跡がある。そのためいっとき、彼は豪州政府から危険人物として監視を受けるまでに至った。

 

 既に充分明白であろう、茅原華山は決して植民地支配そのものに反対したわけではない。
 ただ、割に合わない満洲・朝鮮経営からは手を引くように提言しただけなのだ。その代わりと言ってはなんだが、豪州を手に入れ割に合う・・・・植民地経営をしろと説諭した。
 これはどう評しても「大日本主義者」の物言いである。
 ただ、日本が延びて行くべき航路について彼が指し示した方角が、当時にあっても相当独創的だったのは間違いない。

 


 もっともそんな『大英帝国分割論』の夢も、日本が英国の要請を容れてドイツに宣戦布告した瞬間に露と消えた。このとき茅原が味わった落胆は、ドイツ国民のそれと比べても決して遜色なきものだったに違いない。

 

 欧州戦争に参加した日本は、その歴史のコースをこの時から取り違へたのである。(茅原華山著『日本国民に遺言す』390頁)

 

 かくて大日本帝国は、茅原華山が「最も戒むべき」と断じた方角へ思い切り舵をきって行く。

 

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 ロシアを蹴飛ばし、その上ドイツまでをも叩き潰してしまったら、英国にとって日本はもはや用済みになると茅原華山は早くから――それこそ欧州大戦勃発前から――看破していた。
 それどころかそのまま日英同盟を結んでいれば、勢いこれが対米同盟と化すのは必然であり、米国を敵に回すなぞ冗談ではないイギリスが、その破棄に乗り出すのは自然であると。

 

 日本はいかに西洋を模倣しても、西洋は決して日本をば西洋の一国と見ない(同上、222頁)

 

 イギリスは日本を棄てる行為に何らの呵責も痛痒も受けない。恰も弊履に対する如く、至極無造作にそれをやる。やれるからこそ、あの国は今日まで生き延びてきた。
 事ここに至ってしまえば日本と英国との関係はどちらが先にナイフを突き立てるかでしかなく、ならばいっそ、先に刺せ、掻っ捌いて分割し、肉を貪ってしまうがいい――と。


 張り上げた声は、しかし甲斐なく聞き入れられず。


 その後は、敢えて詳述するまでもあるまい。歴史は茅原の警告通りに推移した。彼の脳裏に嘗て去来した地獄相が、そっくりそのまま現出された。
 
 その一部始終を、この男はどんな思いで見詰めていたのか。

 

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 茅原は1952年まで生きた。
 奇しくもこの年、日米間に平和条約が批准され、わが国は主権を回復。GHQもその役割を終えている。

 

 

 

 


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