「なんだ、おい、くそ、ふざけんじゃねえ、馬鹿野郎――」
結城銀五郎は顔じゅうを口にして叫ばずにはいられなかった。
こんなことがあっていいのか。
水道水にヒルが混ざり込んでいたのだ。
それも一匹や二匹ではない。
ぼたぼた、ぼたぼた――開いた栓からひっきりなしに、このいやらしい体色の環形動物がまろび出て来る。
その数、実に二十三匹。トラウマになりそうな光景だ。動顛するのも無理はない。明治三十四年五月二十三日午前、東京市京橋区木挽町一丁目に巻き起こった椿事であった。
「どうしたどうした、なんの騒ぎだ」
声をききつけ、家人どころか隣人までもがやってきた。
「なんのもヘチマもあるもんか」
生え際まで真っ赤に染めてまくし立てる銀五郎。どうにか彼から事情を聞き出し、
「そりゃ驚いた、不思議なこともあるもんだ」
隣人は目を丸くした。
「ふしぎで済ませられるかよ」
「まあそうカッカしなさんな」
銀五郎は不満であった。
こういう場合、目くじらを立て、水道局の怠慢を
だのに目の前のこいつときたら別段顔色も変ぜずに、問題の水道栓を横から前から、角度を変え変え観察している。
「まだ出るかねえ。後ろにもっと
とうとう勝手に栓を開放させもした。
ほどよく冷たい皐月の水が勢いよく迸る。
(Wikipediaより、蛇口から出る清潔な水)
果たして
「うげっ」
慌てて栓を締め直す。
一分に満たぬ短い間。にも拘らず、たったそれだけの合間の中に七匹のヒルが落下して、銀五郎宅で確認された異物の数は三十台の多きに上った。
「どうだ」
俺の言った通りだろう、と。
正体不明の高揚を籠め、銀五郎が詰め寄った。
隣人の動揺――すまし顔を維持しきれずに嫌悪に引き攣る表情が、いっときながらヒルどもの不快感を上回るザマミロ感を生んだのだろう。
「こりゃあたまらん、ちょっと洒落にならねえな」
怖気をふるって、隣人は声を吐き出した。
(クラウディア水道遺跡)
東京市の衛生に深刻な疑義を植えつける生物異変の発生は、しかしもちろん、銀五郎宅一個のみに限らない。
相前後して、市内各所で同様の事態が発生している。
以下、試みに、具体的なポイントを幾つか選んで並べてみると、
・京橋区入船町三丁目 白木重吉 方
・京橋区南伝馬町二丁目 宮本善之助 方
・日本橋区蠣殻町二丁目 松本藤太郎 方
・浅草区永住町六十九番地 吉田政蔵 方
こんな調子だ。
まず以って「頻発」といっていいだろう。
水道局は事態を重く視――当たり前だが――、直ちに調査を開始した。いったい何故、何処から、いつ、どうやって、ヒルが水道に
調査を経て、丘が呈した報告書の要約を、同年五月二十九日の『読売新聞』が行っている。
眼目は大別して五つ。
本紙に曰く、
(一)若干の蛭は確かに水道鉄管より出でたるものゝ如し。
(二)水道より出でたりと云ふ蛭の種類は三種にして何れも東京市内及近郊の池溝水田に棲息するもの。
(三)蛭は鉄管の如き暗黒なる、常に水圧強き、食物の少き水中にも産し若しくは生活し得ずとは断言し難く(後略)。
(四)蛭の水道管に入りたる道は最初濾池を敷設する際に機会を得たるものゝ如し、(中略)大なる鉄管を敷設するには相当の長き時日を要する故其間に数回雨に遇ひたる事もあるべく且つ鉄管は十分に掃除したるものにあらざれば此際鉄管中に流入せしものと考へらる。
(五)鉄管中の蛭を駆除すべき方法は水流を以て之を流し出すの外良法なかるべし、蛭は四月下旬より十月半ば頃まで水中に遊泳するものなれば数回水流を以て鉄管を掃除すべし。
なかなかすっきり纏めてある印象だ。
田中正造の記事といい、当時の『読売』の質の高さはまったく折り紙つきである。
ところで筆者はついこのあいだ、『アラーニェの虫籠』を
水道どころか、人体から蟲が飛び出すアニメ映画だ。
面白かった。画面に釘付けにされる感覚。最初から最後まで、映像に食い入りきりだった。
その余韻が去らぬうちに書き上げた。
さても有意義な体験だったと評したい。
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