発行部数が百万を超える雑誌なぞ、あの何事も派手にやらねば気の済まぬアメリカならではの現象である。国土も人心もせせこましい大和島根でそんなことを望むのは、はっきりいって痴人の寝言、木に縁って魚を求むるが如き、どだい無理な註文よ。――
そうした引け目が、長いこと日本の業界人を支配していた。
これをぶち破ってのけたのが、講談社であり、『キング』である。
(Wikipediaより、『キング』創刊号)
のっけからしてもう凄い。創刊号の段階で、いきなり七十万部を超える、絢爛華麗な登場ぶりを披露している。そのまま右肩上がりに業績を伸ばし、昭和三年十一月の増刊号では、なんと百五十万部の大台を突破。日本出版史に屹立する雄峰としてその名を不朽のものとした。
「雑誌王」の肩書もむべなるかな、人々は羨望のまなざしで野間清治を仰がざるを得なかった。
そのうちの一人に、石山賢吉の姿がある。
キングや講談倶楽部は、記事の種類が多い。そして、読者に対する親切心が溢れて居る。何処までも、読者に解り易いように、そして、一行のスペースも無駄にしないで、集約的の編輯をしてある。
尋常一様の手段では、あゝした雑誌が出来るものではない。野間氏がよい上にも、よい雑誌を造らうと、絶えず号令して居るからであらう。(『事業と其人の型』53頁)
こうした野間のひたむきぶりを「百パーセントに満足しない、百二十パーセントの人である」と評したことは、前回述べた。
更に石山は一歩を進めて、こんなことを考えてもいる。斯くも優れた雑誌を
ところがいざ講談社の社員たちと接触を重ねて驚いた。目から鼻に抜けるような切れ者なんぞは一人も居ない。至って凡庸な顔ぶれが、ずらりと並んでいるだけである。
(これはどうだ)
聊か的外れの感じがしたと、石山は正直に書いている。
が、すぐ認識を改めた。
確かに講談社は凡人の寄り集まりであるものの、決して雑然とはしていない。まるで工場の大量生産品を見るように、同一規格にきちりと嵌った整然さがあったのだ。
講談社の人は、誰に会っても、其のタイプは一つである。幾百の社員が一つタイプに生れた訳では勿論ない。講談社の社員になると、野間社長の感化を受けて、一つタイプになって了ふのである。
何処の社にも、社風といふものがある。朝日新聞には、朝日式の社風があり、日々新聞には日々式、先頃廃刊した時事新報には、時事式の社風があった。
然し、其の社風たるや、さほど色彩の濃厚なものでない。少し鈍感の者ならば、知らずに看過するほど淡彩なものである。
処が講談社となると、其の色彩が判然として居る。一見して講談社の社員たる事が、判かる。(61頁)
おそるべき景観といっていい。
統一性の鋭さは、そのまま組織としての力強さだ。確か、『ヒストリエ』でも似たようなことを言っていた。
単行本にして第六巻、マケドニア貴族メナンドロスの演説である。
つまりだなあ 軍というのは個々ではなく集団なんだよ
統制されてこそ最大の力を発揮する
たとえばこちらの部隊に3~4人突出した能力を持つ武人が交じってるとするな?
片やこちらの中には1人だけ能力の劣った兵がいて 部隊全員がその劣等兵の動作に合わせ統一した動きをとったとする
すると不思議にこっちの劣等兵に合わせた部隊の方が強かったりするんだ
要は「1つになる」という事
そのためには兵の個性に合わせて思い思いの装備を作るのではなく統一規格の装備に全員が肉体を合わせるよう訓練してゆく
1対1で負け 10対10で敗れても 100対100 千対千で勝てばよい!
やがて英雄豪傑など不要となろう! それこそが理想のマケドニア軍なのだ!!
どうやらこの方式は軍事組織のみならず、企業の上にも応用可能な哲理らしい。
人々を一つ意志に染め上げる、それこそが指導者の資質であり、翻っては英雄の条件であるならば。
野間清治が戦国風雲の中に生まれていたら、馬上天下をとったかもしれない。そんな想像も、ついしたくはならないか。
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