穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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題名について ―よごれぎんなんきつねつき―

 

 

 以前、夢を見た。
 何故あともう一時間、眠り続けておらなんだかと心底目覚めが口惜しくなる、そんな甘美な夢である。


 都会に移り住んだ私は、ある日にわかに体の調子を崩すのだ。高熱を発し、ための悪寒は血管に氷水でも注ぎ込まれたさながらで、筋組織は我が意とまるで関係なしにひたすら痙攣を繰り返す。
 しかも原因は病ではなく、呪詛、祟りの類であるというからたまらない。山また山に囲繞され、陽の光さえも薄まった、草深い故郷の奥深く、朽ちかけた社に坐す人外――狐耳の美女こそが、呪法の仕手に他ならなかった。
 いや、なにも彼女は私を憎んでいるわけではない。どころか逆に好いている。夢の中の私と彼女は、なかなかに深い関係を結んでいたようだ。
 しかしながら、存在規模の異なる相手が抱く念とは、その性質に拘らず現実を歪ませずにはいられない。夢の話なのに「現実」とはなにやら妙だが、まあ寛恕せよ。とまれかくまれこのことは、あたかもペットボトルにプールの水を一滴残らず詰め込もうとするに等しい無茶だったのだ。彼女の想いは、只人に過ぎない私が受け止めるには強すぎたのである。
 これを解消するには急ぎ故郷へ引き返し、淋しさに一層情念を募らせる彼女の心を慰める他ない。このあたり、神道に似ている。わが国では古来より、神とは荒ぶるものであり、猛々しきその御霊を鎮めるべくあれやこれやと八方手を尽くすのだ。夢中の私も、それはそれは色々なことをやったのである。
 中でも際立って奇天烈だったのは、テロリストのハイジャックした航空機を更に奪い、帰還の足にしようとしたことだったろう。結局操縦に失敗し、駅のホームに突っ込むはめになるのだが、その時私が抱いた不安は、

 

 ――いかんな、改札を通らずに駅の構内に入ってしまった。これでは精算が面倒になる。

 

 という的の外れたものだった。
 その後、停車駅が八王子と甲斐大和の二つだけという凄まじい電車に乗り込んで、私は故郷に辿り着く。言い忘れていたが、私の出身は山梨だ。江戸時代には「山流し」の地として旗本どもに恐れられた場所である。近々、この山梨に通じる特急「あずさ」「かいじ」の自由席が廃止される予定にあるという。そのことに対するあれやこれやの感情が、夢の世界にあのような、無茶苦茶な運行の路線を構築せしめたに違いない。

 

 まあいい。今は夢の続きを語る方が重要だ。

 

 が、しかしそこから先の記憶ときたら、ひどく曖昧になっている。
 件の狐耳の女性に出迎えられた気もすれば、父親が嘗て月面着陸を目指していた旨の記述を実家の窓枠に発見して、狐が月に行けば狐月きつねつきだなあ、なんて上手くもない洒落を思いついたり、そろそろ体調も回復したので都会へ戻ろうとする私と、愛しさゆえにこの小天地から決して逃がすまいとする彼女との間でひと悶着起こったり、家族総出で工事現場のすぐそばに穴を掘り、死体を埋めて隠そうとするなど――死体が誰であったかは定かでない。少なくとも狐耳は付いておらず、そも女性の肉体ですらなかったのは確かなのだが――、まるで整合性がない。
 さりとて夢とは、本来そうしたものだろう。見ている間は何の違和感も覚えずに身を委ねていられるが、目覚めが訪れるや否や、たちまち理解不能な代物と化す。
 時の流れに削られて輪郭は溶けるように消えてゆき、いずれ何一つとして思い出せなくなるだろう。それが自然だ。

 

 だが、惜しい。

 

 あれだけ愛され、狂わんばかりに求められたのだ。その歓喜、その悦楽の甘い痺れはまだ私の皮膚の下を這い廻り、たまらぬむず痒さで疼かせている。
 私の脳味噌が勝手に創り出した幻影に過ぎないとしても、これほどのものを与えてくれた彼女をやがて忘れてしまうのはあまりに惜しい。何らかの形で留めておきたい。折に触れては思い出す、そんな関係が望ましい。
 だからこのブログの題名は、穢銀杏狐月よごれぎんなんきつねつきなのだ。こうしておけばたとえ更新が滞ったとしても、はや我が事を忘れたかとあの狐耳がこわい顔で叱り飛ばしに来る幻が見え、意欲を取り戻すことだろう。自堕落な私にはちょうどいい点火薬というわけだ。善哉善哉。

 

 佐牟氣禮牟氣牟氣牟氣禮牟之さんけれんけんけんけれんのけん 

 丁丁止鳴ちょううちょうとなる 波與志野乃華加良須はよしののはなからす

 七難有波和賀身志良世與しちなんあらばわがみしらせよ


 妖狐よ、宜しく我にとりつきたまえ。

 

 

 

 


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