穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

昭和レトロ商品博物館を堪能す

 

 首都東京の西郊外たる青梅市に、昭和の器物を蒐めた博物館があると聞きつけ俄然私は興味を惹かれた。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172023j:plain

 


 電車を乗り継ぎ、ホームに降りれば、早速のこと右から左読みの古式ゆかしい看板が。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172039j:plain

 


 街の方でも何が求められているのかよく心得ているらしく、相応しい二つ名が刻まれている。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172057j:plain

 


 駅前の様子。曇り空だが、これはこれで雰囲気が出て悪くない。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172137j:plain

 


 路地を通り、

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172155j:plain

 


 まずは住吉神社へ。
 応安二年(1369)からこの街を見守ってきたという由緒正しいこの社は結構な高台に位置しており、参拝を済ませて振り向くと、

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172221j:plain

 


 このように、広く街を見渡すことが出来るのだった。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172244j:plain

 


 さて、こちらが今回の目当てである昭和レトロ商品博物館
 奇しくもこのとき、訪客は私一人のみであり、おかげで心ゆくまで展示物を眺めることが出来たのである。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172318j:plain

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172333j:plain

 


 この「いこい」という煙草を好きだったのが私の祖父で、うまそうに吸っていたということである。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172401j:plain

 


 夢枕獏屈指の名著、神々の山嶺に出てきたようなカメラの姿が。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172426j:plain

 


 右下に見える写ルンです。これとよく似た商品を鞄に詰めて修学旅行に赴いた、青春時代のあの日々よ。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172458j:plain

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172517j:plain

 


 懐かしきホーロー看板の数々。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172537j:plain

 


 これとそっくりな一枚が、未だ故郷山梨のとある路地のコンクリ塀に現役で掛けられていたはずである。今度帰省したときは、忘れず撮影することにしよう。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172624j:plain

 


 左上のクレンザーに激しく記憶野を刺激される。私の家の台所にも、かつてアレが置かれていたのだ。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172643j:plain

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172655j:plain

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172712j:plain

 


 カメラに筆箱、時計にミニチュア、ヨーヨーと、コカ・コーラ関連のグッズは数多に及ぶ。『フォールアウト』シリーズでそのキャップが通貨に使われるのにも納得だ。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172834j:plain

 


 まさか軍人将棋まであるとは。こち亀でこれが登場した回は面白かった。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172903j:plain

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172917j:plain

 


 薬品類。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227172938j:plain

 


 カプセル出現まで服薬の花形を担っていたオブラートの姿も。かつての勢威こそ失いはしたが、「オブラートに包んで」という表現は、未だ我々の生活の中で生き続けている。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227173045j:plain

 


 総評として、実にいいものを見せてもらった。有意義な時間を過ごせたという満足感を抱きしめて、再び青梅駅へと戻る。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227173104j:plain

 


 冬枯れの山も悪くない。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191227173317j:plain

 


 折角ここまで来たのだから、すぐ近くの河辺駅で降りて「梅の湯」にも寄っていく。
 考えてみれば、登山の帰り以外であそこに浸かったのは初めてのこと。

 相も変わらず、いい湯であった。

 

 

神々の山嶺 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

神々の山嶺 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

三たび諫めて聴かざれば ―歌の背景―

 
 
三たび諫めて聴かざれば
腹に窓あけ死出の旅



 四書五経の一つでもある礼記には、次のように記されている。


「君に過ち有れば則諫め、三度諫めて聴かざれば去るべし」と。


 臣下たるもの、主君の過ちに気付いたならば三度まではこれを諌めよ。もし三度諌めてなお聞く耳を持たぬような迂愚であるなら、そんな主は見棄ててしまえ――そのように教えているわけだ。

 

 

Liji

Wikipediaより、礼記) 

 


 が、日本男児の流儀は違う。三度諌めてそれでも主君が頑迷不霊変わらぬならば、みずから腹を掻っ捌き、溢れ出る血と臓腑を以ってなおも諫めよ――冒頭に掲げたのは、そんな意気の古歌である。


 おそらくは、江戸時代の中期以降に詠まれた歌であるだろう。


 というのも、武士は武士でも戦国時代の武士にとっては藤堂高虎の言ったが如く、「七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という考え方こそ本道で、諫言などというともすれば舌禍に繋がりがちな危険行為は敢えてせず、上が駄目ならさっさと見棄てて退転するのが当然のならいとされていた。

 


 戦場での死は誉れだが、馬鹿の癇気を蒙って、畳の上で殺されるのは薄らみっともなくてやりきれぬ――そうした美的観念もあったろう。

 


 信長のうつけを気に病むあまり、忠諫状を書き残して自刃した平手政秀老人などは、明らかな例外に属する。


「君、君たらずとも臣、臣たれ」という服従の道徳が武士階級の骨髄にまで滲み徹るようになったのは天下が平らげられて後であり、このままいつまでも四海波静かであれと願った徳川幕府が、その方法としてさむらいどもの野気を抜くべく儒教教育を積極的に取り入れたがゆえだろう。そうした背景なくして、この歌は生れそうにない。

 

 

Japanese crest Tokugawa Aoi

 (Wikipediaより、三つ葉葵)

 


 斯くの如く、何かしらの「元ネタ」を背負った歌というのは存外多い。それらは単体でも決して愉しめないことはないが、背景を理解した上で読むとより一層の興趣が湧く。
 折角なので、もう二首ばかり紹介しよう。

 

 

我家は 下手の建てたる 暑さ哉

 


 やはり江戸時代に詠まれた川柳。
 この元ネタは、おそらく兼好法師の『徒然草だ。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記と並んで日本三大随筆と世に評されるかの書には、

 


 家のつくりやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。

 


 という一文がある。
 夏暑い家=下手な建て方をされた家という理屈は、おそらくこれに基づいたもの。
 たぶんこの川柳子も『徒然草』を読み込んでいたのではなかろうか。江戸時代が一大教養時代であったことがよくわかる。

 

 

Tsurezuregusa Codex Shotetsu

Wikipediaより、徒然草) 

 

 

花は盛りをめづるものかは
月は朧にますものぞなき

 


 これもまた、『徒然草』の影響を受けるところ大とみる。

 


 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。

 


 という部分を七・七・七・七の音律数に練り直し、より情緒的に歌い上げたものだろう。


 生命力の充実しきって張りのある、さも瑞々しき瞬間よりも、それが衰え、朽ちゆかんとする最中にこそ言い知れぬ趣味が見出せる。侘び・寂びを愛する日本人の感性が、如実に反映されているといっていい。


 私なんぞもページの白さが目に鮮やかな印刷したての新本よりも、ヤケの及んだ茶色い古書に対してこそ、より深い愛着を催しがちな性情だから、このあたりの機微はよく共感わかる。

 


 この呼吸はひょっとすると、デモンズソウルをはじめとしたフロムソフトウェア謹製の、所謂「ソウルシリーズ」なるものの魅力に或いは通ずるやもしれぬ。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191226171310j:plain

 


 なにしろ彼の作品群で描き出される世界ときたら、ほとんど何もかもが手遅れな、どうしようもないなれの果てで埋め尽くされたものばかり。


 在りし日の栄華は遥かに遠く、残照ばかりが目について、それがまた郷愁にも似た切ない疼きを煽るのだ。


 主人公が身に纏う装備にしてもどうであろう。どれもこれも、
 焼け、
 痛み、
 捻じれ、
 綻び、
 曲がり、
 欠け、
 爛れ、
 歪んで、
 工房より鍛造されたての白光りする品なんぞはさらにない。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191226171247j:plain

 


 血に染まり、灰と煤とに汚されて、泥に塗れたその姿。闘争に次ぐ闘争の果て、散々に酷使されたモノばかりだと一目で分かる。


 だがそれこそが、永らく継承されてきた、日本人の勘所をこれ以上なく抉り抜きもしたのだろう。

 


 蛇足が甚だしくなって来たので、このあたりで切り上げる。『エルデンリング』の続報はまだか。待ち遠しすぎて頭がおかしくなりそうだ。

 

 

DARK SOULS REMASTERED (特典なし) - PS4

DARK SOULS REMASTERED (特典なし) - PS4

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

預言者郷里に容れられず ―クリスマスに因んだ小噺―

 

 折角のクリスマス・イヴである。
 清しこの夜にあやかって、イエス・キリストにまつわる小噺でもさせてもらおう。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191224170344j:plain

 


 イエス様が神の子たる自分自身を発見し、この地上を救済すべく方々で奇蹟をふるまいながら伝道に努めていた頃のこと。彼の足は、たまたま生まれ故郷たるベツヘルムの村へと向いた。


 ところがこの村落の人々は、イエス幼年時代をようく見知って記憶しているだけあって、成長した彼が如何に高尚なことを説いても――いや、その内容が高尚であればあるほど却って――、


「大工のヨセフの倅ふぜいが、何を偉そうに語ってやがる」


 とせせら笑い、ひたすら滑稽がるのみで、まともに耳を傾けようとしなかったという。


預言者郷里に容れられず」という諺はここから生まれた。


 日本にも、これと似たような例はある。


 時は鎌倉北条氏による執権政治華やかなりしあの時代。真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊と、既存の宗教一切を敵に回して悪罵を投げつけ、自ら開いた法華経のみを唯一絶対の国教の地位に据えるべく、比類なき野心のもと宗教運動を展開した日蓮大菩薩がすなわちそれ・・だ。

 

 

Nichiren statue at Honren-ji Nagasaki

 (Wikipediaより、日蓮上人像)

 


 この人もその郷里たる安房の村落ではあまり流行らず、否、はっきり言ってその勢力は微々たるものに止まって、人々は日蓮曰く「天魔」であるところの禅宗にこそもっぱら帰依していたという。

 


 洋の東西を問わず、宗教家というものはその故郷ではあまり崇敬されないらしい。

 


 そこをいくと権力者はいい。断じてこのような無様を味わうことがない。ためしに豊臣秀吉が関白の位に叙せられて、位人身を極めた後にその郷里を訪れた際の光景をみるがいい。


 村長以下、昔日の「上役」達はこぞってバッタよろしく地に這いつくばり、自分達がどれほど彼に対して恐れ謹んでいるかということを、全身で以って表現せねばならなかったではないか。


 幼い日吉丸を虐めて遊んでいた餓鬼大将なぞは、報復を恐れるあまり既に死んだことになり、暗いところで息を殺して逼塞し、姿をあらわすことすら叶わなかった。


 男の夢とはこういうものだ。秀吉は、かつて「猿」と蔑まれたあの小男は、さぞや気持よかったろう。

 

 

Toyotomi hideyoshi

 (Wikipediaより、豊臣秀吉

 


 生れの卑しい成り上がり者でも、権力の頂点――天下人として君臨したなら斯くの如しだ。武力による後ろ盾の心強さがよくわかる。やはり私は天上の法理を説く宗教上の聖人よりも、闘争の果てに地上の支配権を獲得する武人・覇者の方が断然好みだ。憧れを託すのであるならば、彼らにこそ託したい。

 


 雄弁と巧言に軍事上の名声が加わると、人々はそれらの条件をそなえた人物に心服しがちである。なぜならその人物は雄弁と巧言を操ることによって人々に、自分は危険でないという保証を与え、軍事上の名声を利用して、他者の脅威から守ってやるという保証を与えるからである。(『リヴァイアサン』178頁)

 


 筆を動かすほどに論旨は蛇行し、気付けば当初の目的であるキリストについては冒頭で少しく触れたのみ、クリスマスに至っては全然関係なくなってしまったが、思考の赴くまま頭の中に浮んだことを次々書き連ねたという点に於いて、確かに随筆的ではあるだろう。


 それでは皆様、良き生誕祭を。

 

 

リヴァイアサン1 (光文社古典新訳文庫)

リヴァイアサン1 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ホッブズ
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2015/04/24
  • メディア: Kindle
 
リヴァイアサン2 (光文社古典新訳文庫)

リヴァイアサン2 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

異文化交流滑稽譚 ―旅行記の醍醐味―

 

「男女七歳にして席を同じゅうせず」とは儒教に於ける教えだが、似たようなモノは西洋にもある。


 結婚しているわけでもない男と女が二人っきりで一つの部屋に居てはならぬということが、彼等にとって重要な礼法だった時代があった。


 滅多にドアを閉じないのは現代でも往々見られる欧米人の生活習慣だそうだが、これはその淵源にあたる一つであろう。


 が、長きに亘る鎖国から解き放たれたばかりの日本人には、そんな作法など知る由もない。


 外遊先で婦人がせっかく開けっぱなしにしていたドアを、そんなことをしていたらいつまでたっても部屋の中が寒いまんまじゃあないかとか、或いは単純にだらしのない真似捨て置けぬと義憤に駆られ、態々立って閉めに行き、ために相手から危険人物と誤解され、軽蔑のまなざしを向けられる――そんなしくじりが、驚くほど多かった。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191221170515j:plain

 


 ことほど左様に、異文化交流というのは難しい。


 あちら・・・こちら・・・で具備している常識が、ときに根本から違ったりする。その結果演ぜられる滑稽談は旅行記の醍醐味の一つであって、原田実『閑窓記』にも、むろんそうした要素は含まれている。
 実に多く含まれている。
 中でも特に面白いと思ったのが、日本とイギリスとでの、足を踏まれた反応の違いだ。


 満員電車に代表される人混みで足を踏んづけられた場合、日本に於いては通常踏んだ側が踏まれた側に謝るが、イギリスではこれが逆になるという。まるでそんなところに足を置いていたのが悪いとでも言うかのように、踏まれた側が踏んだ側に謝るのである。

 以下、その実例。

 


 私の知人がロンドンで宿の二階へ昇らうとした時、上から宿の娘が降りて来て、階段で通り過ぎる時その知人の足をふんだので、彼が思はず、これは余りよい言葉ではないが、「こん畜生」といふと、その娘さんは日本語が判らないから相手が先にあやまったものと思ひ、「あやまる必要はありません(Quite all right.)」と言ったさうです。(259頁)

 


 内容からして「知人」の語気はさぞや荒かったに違いないのに、にも拘らず悠々と「気にする必要はありません」とは、英国人の国民性がこんな一介の宿の娘の中にさえ躍如として輝いているのがよくわかる。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191221170737j:plain

 


 泰然として容易に動じず、余裕を持ってゆるゆると物事を進行させてゆく――それがイギリス人の特性だと原田は説いて、

 


 今日のドイツの青年は非常時に際会して熱心に死にもの狂ひで目的に邁進しようと努力してゐる。我々は彼等をよく理解して、そこから大いに教訓と暗示とを得ねばならない。またそれと同時にイギリス人のゆっくりやって居るところの平常時の徳義的な生活からも学ばねばならない。(中略)日本人の頭がもともと悪いのなら致し方もないが、日本人の素質は非常に優れてゐる。頭が良いから神経衰弱にでもなると一層ひどいわけだからお互にゆったりと堅実に生活を進めて行きたい。(260頁)

 


 と、加速する世界に警鐘を鳴らす。


 中庸を愛する彼らしい口吻であったろう。


 まあもっとも、知っての通り後の歴史は一瀉千里の勢いで以ってただひたすらに突き進み、暴虎馮河の勇を奮い尽くしたその果てに、一大破滅を迎えるわけだが。


 人世ひとよはまったくままならぬもの。原田の胸中、如何ばかりか。想うだに無惨な限りである。

 

 

意志の勝利 TMW-062 [DVD]

意志の勝利 TMW-062 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 株式会社コスミック出版
  • 発売日: 2019/10/01
  • メディア: DVD
 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

等々力渓谷探勝記

 

 都会の喧騒から手っ取り早く逃れたいなら、あそこ以上の場所はない――そんな触れ込みに背を押され、先日の午後、私は等々力渓谷を訪れた。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220170409j:plain

 


 東急大井町線等々力駅から二分足らずでもうこの看板にぶちあたる。なるほど、確かに手っ取り早い。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220170612j:plain

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220170345j:plain

 


「23区唯一の渓谷」の風景。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220170536j:plain

 


 このあたりのどもはよほど人馴れしていると見えて、私が如何に迫っても知らぬ顔の半兵衛を決め込み、地面を突っつきほじくり返して餌を探すのを止めなかった。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220170651j:plain

 


 水の清さは想像以上。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220170730j:plain

 


 その流れの中を、が悠々と泳ぎ回る。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220170809j:plain

 


 稚児大師御影堂。奥に鎮座ましますは、幼き日の弘法大師空海の姿。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171023j:plain

 


 手水に紅葉が映えること、その絶妙さはとても言葉で表しきれない。ほとんど『隻狼』の一光景だ。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171046j:plain

 


 稲荷堂と不動の滝。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171114j:plain

 


 この滝の音の「轟き」が、「等々力」の地名の由来になったとする伝承もある。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171141j:plain

 


 その上方に目をやると、炎を背負った不動明王の仏像が。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171212j:plain

 


 階段を上り、等々力不動尊へ。見晴らし舞台の木の香りが快い。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171234j:plain

 


 不動尊境内。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171257j:plain

 


 振り返れば、まるで絵のように美しい眺めが。燈籠がいい味を出している。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191220171340j:plain

 


 前評判に嘘はなかった。胸を涼風が透り抜け、心の、魂の洗濯が成されたような実感と共に、私は等々力渓谷を後にした。

 

 

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE Official Artworks

SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE Official Artworks

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/08/02
  • メディア: 大型本
 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

原田実、ニューデール政策下のアメリカへ

 

 イギリスに於いて見るべきものをあらかた見終えた大日本帝国の教育学者、原田実が次に足を運んだ先は、大西洋の向こう側――アメリカ合衆国に他ならなかった。


 日本から上海を経てインド洋を南回りに航行し、地中海からイタリアに入り、ドイツ、フランス、イギリスと見てまわったわけだから、彼の旅程はほぼ世界一周旅行と言える。


 さて、原田実の外遊期間は昭和十年から同十一年にかけての約一年半。
 西暦に直すと1935年から1936年という数字。
 この当時の合衆国は、ちょうどフランクリン・ルーズヴェルトを大統領に戴いて、世界恐慌を克服すべくニューディール政策に邁進していた時期である。

 

 

FDR 1944 Color Portrait

 (Wikipediaより、フランクリン・ルーズヴェルト

 


 当然、原田実もニューデール政策の実態をありありと見た。


 その結果、彼が抱いた所思というのは、決して好感触とは言えないモノで。

 


 ルーズヴェルト大統領のニューディールは無産下層階級の生活を擁護し、従って彼等の人気を博して居るが、これがために要する莫大な費用は、特別税を以て資本家階級より徴収するのであるから、資本家階級からは極めて人気がない。然るに、ニューディールは誰れも知る通り、大統領が非常に無理押しに或る意味に於ては泣き落としの方策を以て議会を通過せしめたもので、従って十分に民意の賛同を得て居らないものであるとの立場から、ルーズヴェルトを独裁政治家なりと批難するものもあり、また無産階級に無理な同情をするものであり、極左思想家であると批難するものもある。(『閑窓記』207頁)

 


 実際問題、ルーズヴェルト政権にはソビエト連邦のスパイという極めつけの赤色分子が数多入り込んでいたのであるから、この評判を謂れのない批難と退けるのは不可能であろう。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191218170455j:plain

 


 原田実自身、フランクリン・ルーズヴェルトという男を知れば知るほど、特に大衆の人気を獲得するそのやり口がムッソリーニヒトラーのそれとそっくりなことに気が付いて、

 


 十分に世界的に知れ渡っては居らないやうではあるが、ルーズヴェルトヒットラームッソリーニに比して決して優るとも劣らない現代が有するデゴマークの一人であると、自分は考へる。(211頁)

 


 斯様に評し、アメリカの将来を不穏視している。


 結局のところあの時代は、独裁者の時代だったということだろう。ヒトラースターリンムッソリーニチャーチルフランコルーズヴェルト――まるで時代そのものが望んだように、名だたる独裁者が次々と出た。


 もっとも原田実にしてみれば、そのような潮流、たまったものではなかったろうが。

 昭和十四年八月三十一日の読売新聞に掲載された、阿部信行新首相の

 


 わしにはモットーもなければスローガンもない、ただ幼少の頃から「常に相手の立場を了解して親切にやって行く……」これがわしの指針ぢゃ……精神総動員といへばこれは聖戦下もっとも必要なことだが、その働きかけ方に付ては相手の生活状態や境遇によっておのおの異ならねばならぬと思ふ。片田舎の人に対しては片田舎でできる精動を、相手如何によって法を説かねばなるまい、パーマネントも婦人の洋装も程度問題で、要は皆の現下の時局に対する慎みが湧いてくればよいのだと思ふ、あまりパーマネントやイガ栗頭などやかまし論議すべき事項ではないと思ふ……

 


 という発言にいたく感銘を受けていることからも分かる通り、原田の性質は中庸を愛するように出来ていて、にも拘らずいずれの国も――左右の別はさて措いて――天井知らずに偏り続けるこの灼熱の時代に際会したのが不幸であった。
 彼の神経がどれほどすり減らされたことであるやら、想像するに余りある。

 

 

Nobuyuki abe

 (Wikipediaより、阿部信行)

 


 まあ、それはいい。


 原田実が目撃したアメリカ合衆国の不安要素は、ひとりルーズヴェルトのみにとどまらなかった。


 大統領閣下ご自慢のニューディール政策により優遇された無産階級――この連中にも深刻な毒が蔓延りつつある。そのように彼は書いている。

 


 失業者を道路工事や水利工事等に駆り集めて、ニューディールの仕事といふ立看板をかかげて、ノラリクラリの仕事を与へ、徒に賃金を払って居るとの批難もあって、それは確かにその批難が事実であるといって差し支へない事情を、我々旅行者も容易に看取することが出来た。

 


 つまりは優遇のし過ぎで労働意欲がごっそり削れ、費用対効果が最底辺まで下落したということであり、

 


 無産階級や失業者の群は相当期間殆ど真面目な労役もせずに給与金によって収入を得て来た為めに、怠惰の習慣を馴致し、しかもその間に互ひに連絡を造る機会をおのづから持ったことから、今後、その給与金が事実上不可能になって、停止されるやうな場合には、自然結束して、それぞれ何等かの意味のストライキ行動に出るであらうといふことが、甚だ明瞭な予想として一般に認められて居るやうな次第である。(210頁)

 


 一度甘い汁を啜った者が二度とその味を忘れられなくなるのは自然な人情。
 今や新たなる特権階級と化したこの連中が、その地位にしがみつくためになりふり構わず騒ぎはじめる未来を予見し、暗澹たる気分に包まれている。

 


 ニューデール政策が失敗裡に帰すわけだ。

 


 これまで何度も繰り返してきたことであるが、敢えて今一度書いておこう。真珠湾の爆音に、誰よりも蘇生の心地を噛み締めたのはフランクリン・ルーズヴェルトその人であったに違いない。

 

 

フーバー大統領が明かす 日米戦争の真実―米国民をも騙した謀略

フーバー大統領が明かす 日米戦争の真実―米国民をも騙した謀略

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

原田実、英国にて舌禍事件を目撃す ―「世界中で最も立派な国である」―

 

 その少女の作文は、同時期に発表された如何なる英国文学の大論文より甚だしく世を揺さぶったと評された。


 1935年5月16日、マンチェスターセント・ポール女学校に通うモード・メイスンなる13歳の一生徒が、皇帝戴冠25周年を記念するため出題された、「我が国土」というテーマの下執筆した作文だ。


 彼女はその作文中でイギリスを、


「世界中で最も立派な国である」


 と書いたのである。
 担任教師はべつに何の違和感も覚えず、この課題を採点した。

 

 

Manchester from the Sky, 2008

 (Wikipediaより、南から望むマンチェスター

 


 話がこじれ始めるきっかけは、それから6日後の22日文部省の視学官がこの学校を訪れて、視察の最中、たまたまモード・メイスン嬢の作文を手に取り通読しだしたことに因る。


 視線が「世界中で最も立派な国」の一節にさしかかるや、彼は紙面から顔を上げ、教師に向かって


「これは大胆な言い方だ」


 と切り込んだ。
 切り込む、という表現を使わざるを得ぬほどに、彼の口調には棘が含まれていたという。
 が、それでしおたれるほどこの女性教師は甘い性根をしていなかった。彼女はすかさず生徒を弁護し、


「私自身そう信じていますので、生徒達にもイギリスは世界のどんな国よりも立派な国であると感じるように教えています」


 と反駁した。
 売り言葉に買い言葉、と言うべきか。視学官は間髪入れず、


「それなら若し君がドイツ人かフランス人だったとしたらどう教えるのか、要するに君は旧式な帝国主義を教えたのだ」


 この一言が、後に英国議会をさえも騒然とさせる大問題に発展するとは、まさか彼とて思わなかったに違いない。


帝国主義者」呼ばわりされた女性教師は、激怒のあまり暫く舌を失くしたようになる。


 彼女はすぐさまこの一件を校長に報告。仰天した校長が事のあらましを更に自分の上役にあたる理事長へと相談すると、この人物は或いは当の女性教師以上に憤激し、たちまち抗議文書を作成。翌23日付けで文部省参事官宛てに送付する。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191217171308j:plain

 


 その訴える所を要約すると、つまりは視学官の言葉を不当と認め、文部省自身の名の下に撤回してもらいたいということだ。


 が、この手紙に対して文部省は、一ヶ月もの間沈黙し、何ら反応を与えていない。


 6月24日、漸く返答が来たかと思うと、そこには


「慎重な調査を重ねた結果、視学官が其方の言うが如き意味の言動に出たという事実は認められない。よって当方は処罰の意図を有さない」


 という通告が。
 むろん、学校側としては納得のいこう筈もない。


 むしろ逆効果に出た。彼らはこの一件を、徹底的に闘い抜こうと覚悟のほぞ・・をいよいよ固めた。


 文部省の対応は、ボヤを消そうとしてガソリンをぶっかけたようなものだったろう。

 

 7月6日、理事長名義で再び抗議文書が送られる。


 これに対して7月10日、文部省からの返答は、


「我々は十分に調査した上で、先の返答を行っている。更にこれに言葉を加える必要性を認めない」


 という硬質なもの。
 そこで理事長は殊更に言辞を鄭重にして、


「文部省が左様な決定に到達した経緯について、若干の説明を求む。もしその説明が得られぬ場合は、議員を通して議会にまで訴える」


 と通告した。


 待つこと実に12日間


 ついに文部省からの音沙汰は無いままであり、これ以上待つ必要性は無いとして、理事長はみずからの伝手を最大行使。
 マンチェスター保守党議員、サー・ジェラルド・ハーストを動かし、この一件を下院議場に持ち込ませるに至るのである。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20191217171644j:plain

 


 7月30日、ハーストは文相オリヴァー・スタンリーに向かって、以下の如く問い詰めた。

 


 文部省の一視学官はマンチェスタの一女学校で一女生徒が作文の中に「英国は世界中で最も立派な国である」と書いたのを批難したが、文相は部下の視学官が自国を最も優れた国だと書ゐた生徒を教師や生徒のゐる前で批難した上に教師をも「旧式な帝国主義」を教へたと言って生徒の前で批難したこの事実を、一体どう考へるか(『閑窓記』170頁)

 


 爆弾を投げつけたといっていい。
 議場からは喝采が湧き、記者たちの目がらん・・と光った。
 案の定、ハーストのこの質問は、たちどころにマスコミ連の好餌となって、デイリー・メールデイリー・エクスプレスが先を争って報じ始める。

 


 ――海外の教育事情を視察するため、はるばるユーラシア大陸を横断し、ロンドンに滞在していた原田実という日本人が本件を認識しだすのは、実にこの段階からである。

 

 

(原田実に関する以前の記事) 

 


 ハーストの鋭鋒を受け、スタンリー文相が返した答えは以下の通り。

 


 文部省は、生徒等の自国に対する愛情や誇りを視学官が冷却するやうな行為に出たとすれば、勿論それを甚だ不当と考へる、自分はこの事件を調査したが、そこに誤解のあることを知って安心した。その視学官の用ゐた言葉は一寸した気軽な物語のたぐひで、教師をもまた生徒をも敢て批難するやうな性質のものでなかった。誤解を惹き起こし易い軽率な言葉遣いを勿論自分は宜しくないと思ふのであるが、然し前後の事情から見てこの事件に余り重きをおくことは愚かなわざだと考へる。従って自分は、この事件に対して特に何らかの処分をしようとは考へてゐない。(171頁)

 


 迂闊としか言いようがない。矛先をかわそうとして、逆に無防備な腹を敵に向けて曝け出してしまっている。


 ホッブズの言葉を借りるなら、「他の事物の場合もそうであるが、人間の場合もその値を決めるのは売り手ではなく買い手である。仮に自己評価を目いっぱいつり上げたとしよう。これは大方の人がすることだ。――しかし、だからといって当人の真の価値が他人からの評価を上回ることはない(『リヴァイアサン』154頁)


 当人が「一寸した気軽な物語」のつもりでも、受け手までもがそう思ってくれる保証は何処にもないのだ。そして人間社会では、この受け手側の感情こそが屡々重大視されるのである。


 ハーストはえたりとばかりに追撃した。

 


 文相はその「一寸した気軽な物語」がそれを聞いたすべての人々に批難として聞かれたといふことを承認しないのか。また第二に、少女の単純な愛国心の表現、しかも皇帝戴冠二十五周年記念の「我が国土」と題する作文中の表現、その表現にケチをつけることの断然不都合であるといふことを、視学官に申渡すことをしなくてよいといふは、何の故であるか。(『閑窓記』171~172頁)

 


 再び喝采が巻き起こり、議場はとめどもなく紛糾し、ついにこの討論は次の議会まで持ち越されることになる。


 で、その「次の議会」が開かれる8月2日のその日には、なんと問題の作文を執筆したモード・メイスン嬢その人が傍聴のため遥々ロンドンまでやって来て、ユーストンのプラットフォームに足を下ろしたその瞬間が写真に撮られ、


 ――フィルムスターの如く歓迎された少女


 という見出しと共に各紙に掲載されたから、事態はますます過熱した。

 

 

Euston Arch 1896

 (Wikipediaより、1896年のユーストン駅入り口)

 


 一連の騒擾ぶりを渦中にあってとっくりと見物しおおせた原田実は、

 


 高い教育を受けた者が同程度のものに話す場合には皮肉や諷刺もよろしい、然し子供に対する皮肉や自分よりも教育の低い者に対する諷刺は、屡々言葉そのままに受け取られる。(175頁)

 


 と、皮肉交じりの警句めいた文章を、その日記に書きつけている。

 

 

リヴァイアサン2 (光文社古典新訳文庫)

リヴァイアサン2 (光文社古典新訳文庫)

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ