穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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原田実、英国にて舌禍事件を目撃す ―「世界中で最も立派な国である」―

 

 その少女の作文は、同時期に発表された如何なる英国文学の大論文より甚だしく世を揺さぶったと評された。


 1935年5月16日、マンチェスターセント・ポール女学校に通うモード・メイスンなる13歳の一生徒が、皇帝戴冠25周年を記念するため出題された、「我が国土」というテーマの下執筆した作文だ。


 彼女はその作文中でイギリスを、


「世界中で最も立派な国である」


 と書いたのである。
 担任教師はべつに何の違和感も覚えず、この課題を採点した。

 

 

Manchester from the Sky, 2008

 (Wikipediaより、南から望むマンチェスター

 


 話がこじれ始めるきっかけは、それから6日後の22日文部省の視学官がこの学校を訪れて、視察の最中、たまたまモード・メイスン嬢の作文を手に取り通読しだしたことに因る。


 視線が「世界中で最も立派な国」の一節にさしかかるや、彼は紙面から顔を上げ、教師に向かって


「これは大胆な言い方だ」


 と切り込んだ。
 切り込む、という表現を使わざるを得ぬほどに、彼の口調には棘が含まれていたという。
 が、それでしおたれるほどこの女性教師は甘い性根をしていなかった。彼女はすかさず生徒を弁護し、


「私自身そう信じていますので、生徒達にもイギリスは世界のどんな国よりも立派な国であると感じるように教えています」


 と反駁した。
 売り言葉に買い言葉、と言うべきか。視学官は間髪入れず、


「それなら若し君がドイツ人かフランス人だったとしたらどう教えるのか、要するに君は旧式な帝国主義を教えたのだ」


 この一言が、後に英国議会をさえも騒然とさせる大問題に発展するとは、まさか彼とて思わなかったに違いない。


帝国主義者」呼ばわりされた女性教師は、激怒のあまり暫く舌を失くしたようになる。


 彼女はすぐさまこの一件を校長に報告。仰天した校長が事のあらましを更に自分の上役にあたる理事長へと相談すると、この人物は或いは当の女性教師以上に憤激し、たちまち抗議文書を作成。翌23日付けで文部省参事官宛てに送付する。

 

 

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 その訴える所を要約すると、つまりは視学官の言葉を不当と認め、文部省自身の名の下に撤回してもらいたいということだ。


 が、この手紙に対して文部省は、一ヶ月もの間沈黙し、何ら反応を与えていない。


 6月24日、漸く返答が来たかと思うと、そこには


「慎重な調査を重ねた結果、視学官が其方の言うが如き意味の言動に出たという事実は認められない。よって当方は処罰の意図を有さない」


 という通告が。
 むろん、学校側としては納得のいこう筈もない。


 むしろ逆効果に出た。彼らはこの一件を、徹底的に闘い抜こうと覚悟のほぞ・・をいよいよ固めた。


 文部省の対応は、ボヤを消そうとしてガソリンをぶっかけたようなものだったろう。

 

 7月6日、理事長名義で再び抗議文書が送られる。


 これに対して7月10日、文部省からの返答は、


「我々は十分に調査した上で、先の返答を行っている。更にこれに言葉を加える必要性を認めない」


 という硬質なもの。
 そこで理事長は殊更に言辞を鄭重にして、


「文部省が左様な決定に到達した経緯について、若干の説明を求む。もしその説明が得られぬ場合は、議員を通して議会にまで訴える」


 と通告した。


 待つこと実に12日間


 ついに文部省からの音沙汰は無いままであり、これ以上待つ必要性は無いとして、理事長はみずからの伝手を最大行使。
 マンチェスター保守党議員、サー・ジェラルド・ハーストを動かし、この一件を下院議場に持ち込ませるに至るのである。

 

 

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 7月30日、ハーストは文相オリヴァー・スタンリーに向かって、以下の如く問い詰めた。

 


 文部省の一視学官はマンチェスタの一女学校で一女生徒が作文の中に「英国は世界中で最も立派な国である」と書いたのを批難したが、文相は部下の視学官が自国を最も優れた国だと書ゐた生徒を教師や生徒のゐる前で批難した上に教師をも「旧式な帝国主義」を教へたと言って生徒の前で批難したこの事実を、一体どう考へるか(『閑窓記』170頁)

 


 爆弾を投げつけたといっていい。
 議場からは喝采が湧き、記者たちの目がらん・・と光った。
 案の定、ハーストのこの質問は、たちどころにマスコミ連の好餌となって、デイリー・メールデイリー・エクスプレスが先を争って報じ始める。

 


 ――海外の教育事情を視察するため、はるばるユーラシア大陸を横断し、ロンドンに滞在していた原田実という日本人が本件を認識しだすのは、実にこの段階からである。

 

 

(原田実に関する以前の記事) 

 


 ハーストの鋭鋒を受け、スタンリー文相が返した答えは以下の通り。

 


 文部省は、生徒等の自国に対する愛情や誇りを視学官が冷却するやうな行為に出たとすれば、勿論それを甚だ不当と考へる、自分はこの事件を調査したが、そこに誤解のあることを知って安心した。その視学官の用ゐた言葉は一寸した気軽な物語のたぐひで、教師をもまた生徒をも敢て批難するやうな性質のものでなかった。誤解を惹き起こし易い軽率な言葉遣いを勿論自分は宜しくないと思ふのであるが、然し前後の事情から見てこの事件に余り重きをおくことは愚かなわざだと考へる。従って自分は、この事件に対して特に何らかの処分をしようとは考へてゐない。(171頁)

 


 迂闊としか言いようがない。矛先をかわそうとして、逆に無防備な腹を敵に向けて曝け出してしまっている。


 ホッブズの言葉を借りるなら、「他の事物の場合もそうであるが、人間の場合もその値を決めるのは売り手ではなく買い手である。仮に自己評価を目いっぱいつり上げたとしよう。これは大方の人がすることだ。――しかし、だからといって当人の真の価値が他人からの評価を上回ることはない(『リヴァイアサン』154頁)


 当人が「一寸した気軽な物語」のつもりでも、受け手までもがそう思ってくれる保証は何処にもないのだ。そして人間社会では、この受け手側の感情こそが屡々重大視されるのである。


 ハーストはえたりとばかりに追撃した。

 


 文相はその「一寸した気軽な物語」がそれを聞いたすべての人々に批難として聞かれたといふことを承認しないのか。また第二に、少女の単純な愛国心の表現、しかも皇帝戴冠二十五周年記念の「我が国土」と題する作文中の表現、その表現にケチをつけることの断然不都合であるといふことを、視学官に申渡すことをしなくてよいといふは、何の故であるか。(『閑窓記』171~172頁)

 


 再び喝采が巻き起こり、議場はとめどもなく紛糾し、ついにこの討論は次の議会まで持ち越されることになる。


 で、その「次の議会」が開かれる8月2日のその日には、なんと問題の作文を執筆したモード・メイスン嬢その人が傍聴のため遥々ロンドンまでやって来て、ユーストンのプラットフォームに足を下ろしたその瞬間が写真に撮られ、


 ――フィルムスターの如く歓迎された少女


 という見出しと共に各紙に掲載されたから、事態はますます過熱した。

 

 

Euston Arch 1896

 (Wikipediaより、1896年のユーストン駅入り口)

 


 一連の騒擾ぶりを渦中にあってとっくりと見物しおおせた原田実は、

 


 高い教育を受けた者が同程度のものに話す場合には皮肉や諷刺もよろしい、然し子供に対する皮肉や自分よりも教育の低い者に対する諷刺は、屡々言葉そのままに受け取られる。(175頁)

 


 と、皮肉交じりの警句めいた文章を、その日記に書きつけている。

 

 

リヴァイアサン2 (光文社古典新訳文庫)

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