穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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答志島の鳥 ―雉についての四方山話―


 は麓の鳥である。


 人里近くの藪や林に身を潜め、田畠を窺い、隙あらば農家の手掛けた耕作物をいけしゃあしゃあと啄みに来る。


 皇居の森や赤坂御所、陸軍戸山学校、それに近衛騎兵聯隊駐屯地――空襲で焼け野原になるまでは、大東京のど真ん中でもこのあたりの地域に於いて雉をふんだんに見かけたそうだ。

 

 

Phasianus versicolor Couple

Wikipediaより、草をついばむ雉のつがい)

 


 就中、皇居の雉に至っては、「春になるとよく三宅坂に面した土手の芝生の上に出て遊んでいるのを見受け」たそうで、もはや一種の風物詩と化していたげな観がある。(昭和七年、大場弥平著『狩猟』4頁)


 犬、猿と並んで桃太郎が鬼退治に同行している点からも、人との距離感、そのほど近さが察せよう。


 接触の機会が多ければ、想像を拡げる余地も増す。


 事実、このいきものを題材にした口碑・巷説の類というのは数多い。


 鳥羽市の対岸、伊勢湾最大の島嶼たる答志島もまた、その種の噺の舞台となった土地だった。

 

 

Tōshijima

Wikipediaより、答志島遠景)

 


 本来麓で活動するはずの雉どもが、ここでは人も通わぬ山奥に引っ込んでしまっていたそうだ。


 猟師の犬と鉄砲に狩られまくったのが原因である。


 毎日毎日、雷鳴の如き轟音と共に同種がばたばた死んだなら、容量の小ささに定評のある鳥頭とて、多少は学習するらしい。危険地帯を判別し、命惜しさに人影を避け、挙句の果てには深山の奥に閉じ籠ったまま姿を隠すようになる。


 一種の難民といっていい。


 実際問題、難民が雪崩れ込んだ地帯に於いて屡々起こる現象が、答志島の噺の主軸であるのだ。


 その現象とは? 回りくどい表現はやめ、直截にいこう。


 混血である。


 ――ここの山にはそのむかし、雉と山鳥の雑種が棲んでいたという。

 

 大きさは雉の半分程度、毛色は両種の特徴が、ほぼ五分五分で入り混じったモノ。「山の高さがあまり高くないので麓を追はれた雉は山鳥の居る上の方に常住するやうになったのと、も一つは孤島で田畑が極めて稀少である為めに、彼等に必要な水と餌を求むる個所が比較的局限せられている。このやうな種々な関係から雑居状態が起りそれが進展して愛の結晶が出来たのではないか」と、狩猟家にして陸軍少将、大場弥平は推察している。(6頁)

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20211103170621j:plain

満洲に於ける雉の豊猟)

 


 雉と山鳥、生物学上の分類は、前者がキジ科キジ属で、後者がキジ科ヤマドリ属。


 属レベルで異なる相手同士だと正常な交配は至難というが、分母が増せば「例外」もまた発生し易くなるだろう。可能性はありそうだ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、やはり数は力である。

 

 

 

 

 

 

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