穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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豊川稲荷東京別院参詣記

 

 昨年度のゴールデンウィーク初頭、私は奥高尾を歩いていた。
 景信山から高尾まで、縦走を試みたのである。
 幸いそれは上手くいった。ほとんどコースタイム通りの満足のいく山行。予想外の展開に直面したのは下山してからのことである。


 当初私は、高尾山口駅に直結している「極楽湯」で汗を流そうと考えていた。しかしいざ足を運んでみると、これがとんでもない大混雑。行列がずらっと玄関の外まではみ出していて、何十分待てば湯に浸かれるのかちょっと見当がつけられない。

 

 

Keio-Takaosan-Onsen-Gokurakuyu

 


 その光景は、私をしてここでの入浴を断念させるに十分な威力を持っていた。かといって、改めて代わりの銭湯を探す気にもなれない。それをするには少々疲労が募り過ぎ、あまりに気力が削られていた。


 やむなく駅の便所の個室に籠り、汗でぐっしょり重くなった服一式をちゃっちゃと着替え、電車に乗って家に帰っていつも通りの風呂に入った。


 少しくしてゴールデンウィーク終盤になると、「まさか丹沢方面ならああまで混雑してはいまい」と当て推量を決め込んで、今度は畔ヶ丸に登った。下山後は鶴巻温泉弘法の湯に向かったのだが、私の甘い期待なぞ知るかとばかりにやはり喧騒を極めており、脱衣所のロッカーに空きが一つもないという事態に際会する破目になってしまった。


 男湯の入り口で、汗臭い野郎共が列をなしてロッカーに空きが生じるのを今か今かと待ちわびている光景は、お世辞にも快いとは言い難い。ましてやその列を構成する一員に己が含まれているとあっては、だ。もういっそ笑うしかない心境に立ち至ったのを覚えている。


 一連の経験は私にある教訓を授けてくれた。すなわち、「ゴールデンウィーク中は山に行かない」。


 平地で散々人波に揉まれて堆積した鬱懐を散じたくて山へ行くのに、その山でも人の多さに辟易させられるようでは何をやっているのかわからない。
 登山は寂しいくらいが丁度いいのだ。
 なればこそ、普段辟易している他人のありがたみが身に沁みて感ぜられるというもの。


 さりとて世間がこう賑々しく浮かれている最中に、ひとり自宅で穴熊を決め込み続けるというのもどこか気ぶせりなものがある。


 ――何も山ばかりが気晴らしのすべてではないだろう。古跡巡礼も同様に血の濁りを清らかにする、重宝すべき趣味である。


 そんな考えに基づき本日、憲法記念日の今日の好き日に、赤坂に在る豊川稲荷東京別院に参詣してきた。

 

 

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 摩天楼が立ち並ぶコンクリートジャングルの只中に、古色蒼然たる神社仏閣が鎮座まします情景を、「都会の通気筒」と称した人がいた筈なのだが、はて、あれは誰であったろうか。正確な名がどうにもこうにも思い出せない。確か、戦前に活躍した大衆文学者の誰かだったと思うのだが。
 まあ誰にせよ、上手いことを言うものだ。
 豊川稲荷は、その通気筒の見本のようなところであった。

 

 

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 赤坂目附駅B出口から地上に出ると、後はこの青山通りを一直線。

 

 

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 二三分もせぬ内に、鮮やかな朱色の提灯が視界の奥から行進してくる。

 

 

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 山門。左に大書された「大祭」は、五月二十二日の子宝観音祭のこと。

 

 

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 境内に一歩踏み込むなり、途端に気温が低下したような錯覚に陥る。この雰囲気、悪くない。


 豊川稲荷は本院を愛知県豊川市豊川町に持つ、荼枳尼真天だきにしんてんを祀る曹洞宗の寺院。この赤坂以外にも北海道・神奈川・大阪・福岡にそれぞれ別院を有し、勢力まことに大である。

 

 

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 日本三大稲荷の一つに数えられるだけあって、至るところに狐の姿が。

 

 

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 しかしこう、狐にぐるりを囲まれているとついあの事件を思い出す。子供の頃、家で飼っていた鶏が朝起きると惨殺されていたあの事件をだ。
 まあ、アレの下手人は鼬の公算大なのだが、どちらも日本では古来より人を化かすと伝承されてきたいきものだ。ここは大目に見てもらいたい。
 そういえば飼い猫が夜、台所でモモンガをむさぼり喰っていたこともあった。こうして振り返ってみると、自分でも意外なほど野生動物との接点が多い。

 

 

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 身代わり地蔵。弾幕アマノジャクがまず浮かぶ。

 私の操る鬼人正邪を幾度となく助けてくれた。感謝を込めて手を合わす。

 

 

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 狐の独壇場ではない。ひっそりと親子蛙の姿が。

 

 

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 付近の絵馬には小学生くらいのあどけない文字で、「お金持ちになれますように」との願いが。人生の主題の一つと言える。

 

 

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 縁切りを謳っているだけあって、こちらの絵馬には差し迫った情念の重みを感じさせるものが多い。

 

 

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 令和の訪れを祝う揮毫。国土安穏、萬邦和楽。実に結構なことである。

 

 

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 一通りお参りを済ませた後は神保町へ。この古本屋のメッカの至近に在ることも、豊川稲荷に参詣しようと思い至った一因である。

 

 

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 果たして加護はあらわれたりや、なかなか面白そうな書籍と巡り逢えた。心中、改めて拝んでおくこととする。帰命頂礼豊川荼枳尼真天。ありがたいありがたい。

 

 

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