夢を見た。
しゃくしゃくと、お蚕様が葉っぱを喰らう夢である。
夢の中で、私はバイクに乗っていた。現実には原チャリ以上の二輪車を運転したことなどないくせに、夢の私は器用な手つきでメタリックに黒光りするその車体を操って、やがてたどり着いたのは、横に長い灰色の建物。
養蚕博物館と、確かそのように書かれていた。
中に入ると、その名の通り養蚕にまつわるあれやこれやの展示物が並んでいる。着物、糸車、カイコガの成虫の標本。
しかし特に目を引いたのは、一面そっくりガラス張りになった壁の向こう、山と積まれた桑の葉を齧り、丸々太った蚕の幼虫の群れである。
しゃく、しゃく、しゃくと、葉を咀嚼するなんとも幽けきその音が、厚いガラスに阻まれて到底聴こえぬはずなのに、何故か私の耳にはっきり届いた。
職員に頼めば、一匹取り出して掌に乗せてくれるサービスまでしていた。
この博物館にはどういうわけか温泉が併設されていて、こりゃ丁度いいやと暖簾をくぐったところで目が覚めた。
今でこそ果樹に席巻されてはいるものの、一昔前の山梨では養蚕が実に盛んであって、畑といえば桑畑という時代が確かにあった。
私の生家も例に漏れることはなく、やはり養蚕を営んでいて、何百、何千という蚕が葉を齧ることで奏でられるあの儚い音色を子守唄代わりに聴きながら成長したと、かつて母が話してくれた。
祖母などは繭からの糸取りも実に器用にこなせた人で、何着もの絹の着物を持参して嫁入りしたと聞いている。
その内の一着は一度ほどかれ、仕立て直され、目下私の袢纏として冬の扶けとなっている。
譲り受けたのは、確か大学生の頃だったか。薄いくせに防寒作用はやたらと高く、歩くたびに絹擦れの音が心地よく鼓膜をくすぐってくれる逸品だ。手触りといい艶といい、とても八十年近く前の生地とは信じられない。
斯くの如き種々の知識や絹に対する思い入れやら何やらが、私にあのような夢を見せた
亡き祖母の面影が懐かしい。
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