革命期や変動期には、後世から見るとなんだそりゃアとあきれるほかないおかしな騒ぎがよく起こる。
我が国でも御一新の際、国の仕組みがあまりに根こそぎ、それも驚くべき性急さで変化したため人心がとても追いつけず、ために様々な珍事が
徴兵令が敷かれた際に、その条文の中にあった「血税」の二文字に目くじらを立て、こいつは元気のいい立派な若衆の血を搾って毛唐どもに飲ませるつもりだ、毛唐はいつも生血を飲んでいる、だから連中の髪はどいつもこいつも揃って赤いんじゃあねえか、ええいそうはさせてたまるもんけエと各地の農民が竹槍に筵旗を立てて蜂起して、役所や官吏の家なんかを襲撃した「血税一揆」はきょうび小学校の教科書にだって載っているから、皆知り及ぶところだろう。
まあ、確かにヨーロッパには古くから人間の血液が不老長寿を齎すと云う民間伝承が存在し、しかも罪人の血液ほど効果が高いとされていたため、断頭吏のいい小遣い稼ぎになったそうだが。
ドイツなどでは二十世紀の初頭まで、まだ暖かい新鮮な血が一オンス五十マルク、てぬぐいに浸したものが十マルクと云う相場で売られていたから、これによりおおよその空気を察することが出来るだろう。
閑話休題。
しかしながら明治初頭に、日本列島のあちこちから雲の湧くが如く生起してきた迷信は「血税一揆」ばかりでなく、むしろこんなのは氷山の一角と見るべきで、まだまだ百出して限りない。
戸籍法にしてもその一つだ。
これからは戸籍を厳にして、各戸の門前にきちんと表札を出すようにしろと布令を出したら人々は、一見して名前が判るようにし、財物を徴発するときの便宜を図る算段だろう、
土佐に西洋式の病院を建てたところ、ほどなくして焼打ちに遭った例もある。どういうわけかベッドを見た民衆が、これは人間の丸焼きを作って毛唐に食べさせる装置に違いないと思い込み、積極的自衛策として先に病院を焼いたのだ。
きっと、骨組みが鉄製だったのが災いしたのだろう。
もっともこうした事件には、大抵の場合、裏面に反政府主義者の影が見られる。
不平士族に代表されるこの手の輩が無智な民草を煽動し、いわば砂場に置かれた磁石の砂鉄を吸い集めるが如くして、一大勢力を築き上げ、以って世の中を騒擾さすべく利用すると云うケースが非常に多い。
この構図はなにも百何十年以上前の社会に限ったものでなく、現代に於いても絶えず繰り返されているものだ。
少し前の、集団的自衛権の是非を巡って世上に演ぜられた大騒ぎを見るがいい。またぞろ特定勢力が、こんなものを通してしまったら大変だと、あたかも明日にでも徴兵令が復活し、日本が戦争状態に突入するかのような愚劣な宣伝を大々的にやっていた。
が、明治初頭とは異なり、その醜悪な煽動に腰を浮かすおっちょこちょいがほとんど現れなかったことは、日本国民の進歩を実感できる紛れもない慶事である。
茅原華山も、さぞかし地下で喜んでいよう。
殊更に茅原の名を挙げたのは、私の知る限りに於いて、この人ほど大衆の無自覚を痛憤し、ときに聞くに堪えない罵詈雑言を飛ばしてまでその覚醒を希った者はないからである。
国民に経済的自覚なくば社会の進歩も改革も到底成し得られないというのが茅原華山のモットーで、ために昭和恐慌が起きた際には「これで国民も少しは経済に関心を払うようになるだろう」とむしろ喜び、その喜びを公の場に於いてさえ、ちっとも隠そうとしなかったために周囲から顰蹙を買っている。
その様子を、昭和七年刊行の橋本徹馬著『紫雲荘閑話』から抜き出してみよう。
茅原華山氏も亦経済的見地より日本及び日本人の前途を最も悲観さるる一人である。氏は常に云ふ
「日本人は少しも経済的の自覚がない、故に不景気がもっともっと深刻になって大恐慌が襲来し、ドシドシ日本人が食へなくて死ぬるやうにならなければ此国は救われませぬ(後略)」
といふ。而して氏は斯る見地よりして、不景気が深刻になればなる程之を喜ぶの風がある。
「どうだ君、だんだんヒドクなって来ましたね。面白い…面白くなった」
とはしゃいでいるから、
「さうどうも不景気のヒドクなるのを喜んでは困るなア」
と云へば「さうならなければ此国民は自覚しませぬ。生温い事ではとても駄目です」と云ふ。(45頁)
昭和恐慌の進行中に、茅原はこれを言ったのである。
800を超える企業が倒産し、
大卒の1/3が職に就けず、
250万人以上の失業者が巷に溢れ、
地方には餓死者が転がり、
親は端金で娘を売る、
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図の只中にあって、茅原はこれを言ったのである。
『大英帝国分割論』を創出するだけの天才に恵まれておきながら、この男がついに不遇の一生を送らざるを得なかったのは何故なのか、なんとなく察せるではないか。
惜しいことだ。なまじ頭が良すぎるゆえに、周囲が馬鹿に見えて仕方がなかったのであろう。
なにやらとりとめもなくなって来た。今日のところは、このあたりでやめにする。
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