三日前、蜘蛛を始末した。
壁に張りつき、止まっているのを発見次第、ティッシュを引き抜き、ぱっと突き出し、果たして狙い過たず、圧殺してのけたのだ。
反射に等しい作業であった。
残骸を検め、確かに殺ったと安心し、ゴミ袋に叩き込みにゆくすがら、ふと疑念の影が脳裏にきざす。
――はて、抹殺がタブーであったのは、朝の蜘蛛と夜の蜘蛛、いったいどちらであったろう?
(鹿児島名物、くも合戦)
ひょっとして、禁忌を犯したやもしれぬ。何を弱気な、この令和の世の中にとすかさず己を叱りつけたが、ひとたび芽生えた後ろめたさは容易に拭えぬものらしい。
昨晩、それが夢に出た。
網戸の向こうにへばりつく、毒々しい八本脚――。
記憶はそこからはじまっている。タランチュラ、と咄嗟に思った。でかい、ただひたすらにでかい。私の掌、成人男性として誰恥じることなきそれを、更に上回っている。
(冗談だろ)
猫すら容易に捕食しそうな、こんなとんでもない化け物が、日本で生まれるわけがない。大方どこぞの好事家が海の先より取り寄せて、管理を怠り、脱走させてしまったものだ。
顔も名前も知らない奴が踏んだドジ、そのツケを、俺が支払わされている。近所迷惑も甚だしいぞふざけるな、生態系を撹乱させる地獄野郎めと思いつく限りの罵詈雑言を心の底で並べつつ、殺虫剤を取りに行く。
何が相手を刺激するかわからぬ以上、抜き足、差し足で息を殺して、慎重に進まねばならなかった。
目当てのモノを入手して、再び取って返したとき、既に標的の影はない。
「――」
絶句した。
心臓が喉仏のあたりまでせり上がって来たかと思った。
中に
予測というより、ほとんど祈りに近かった。そして大概、祈りとは、踏み躙られるために存在している。
果たせるかな、私の瞳は捉えてしまった。本棚と壁の僅かな隙間に、丁度、まさに、隠れんとする毛むくじゃらの節足を――。
そのあとはもう、狂乱である。
隙間めがけてひたすらスプレーを噴射するうち、気付けば夢は覚めていた。
(Wikipediaより、殺虫剤)
北枕は不吉、二人箸は下品、めしは二度に分けて盛れ、新しい物を夜におろすな――。
三つ子の魂百までとはことのことか。幼少期に刷り込まれた禁忌に対する畏怖というのは、まことに根強い。暗示には耐性があると思っていたが、ちょっと自信が揺らいでしまいそうである。
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