穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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偉人英雄女性化作品肯定論者・矢野龍渓

 

 矢野龍渓の『出たらめの記』こそは、まさに随筆らしい随筆だ。

 

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 詩歌、伝承、修身、謡曲、経済、風流、笑話に史論と、ありとあらゆるジャンルを網羅して、しかもそれらが纏まりなく雑居している。18世紀イギリスに存在した極端な女嫌いの紳士の話をしたかと思えば、次のページではもう岳飛の墓の紀行文が始まっている、といった具合に。
 この雑然としたところが良い。如何にもうままに、思いついたことを書き並べた実感がこもっている。
 その中の一節、

 

 西王母と乙姫

 

 という章に目を惹かれた。


 これによれば、偉人や英雄、神魔の類を元の在り方から大いに歪め、好き勝手なキャラクター性を付与したがるのは今にはじまったことでなく、遠き過去より連綿と行われ続けてきた、人類の普遍的性質だという。

 

 画にあれ、物語にあれ、総て人は単調を喜ばざるが故にや、男子にまじふるに女子を以ってし、偉男子に配するに美人を以てす、故に其の初は男子たる人物も後世は妙齢の美人と化しおはるあり、又醜怪なるべきものが美人として化し了るもあり。(105頁)

 

 その例として、龍渓はまず西王母を取り上げている。


 西王母の記述として最も古い『穆天子伝』を紐解いてみるに、彼女は「人の如く、虎の歯にて、蓬髪、よくうそぞ」ものと記されており、なるほどこれは怪物以外のなにものでもない。
 ところが何時のころからか、西王母と言えば嬋娟せんけんたる容色玉の如く嬌娜きょうだなる姿態は花よりも美しい女神として、小説にも美人画にも、およそあらゆる創作物に登場するようになってしまった。


 龍渓はこれを、「余儀なき次第」と評している。

 

 東方朔にせよ、穆天子にせよ、相手の如何に拘らず、若し之に配するに虎の如き牙を噛出したる鬼子母神同様の醜物を描かむには、到底掩映の美を尽す能はず、配合の美は之を嬋娟たる美人に描くに在り、是れ亦余儀なき次第なり。(106頁)

 

 すべては見栄えの良さを追求した結果なのだ、と。
 日本に於ける乙姫とても、最初『太平記』にその姿を現した際は男であった。瀬田の長橋にて俵藤太秀郷を雇い、彼をして大百足を射らしめたのは龍王であって龍女ではない。しかしその後の物語では、能でも絵巻でも草紙でも、みな絶世の美女たる乙姫の姿に差し替えられた。


 こうした一連の現象を、龍渓は意外にも肯定している。

 

 斯くてこそ、事物の配合、掩映の妙も生ずるなれ、正史ならぬ物語は総て面白きが宜し、女子にて妙なる場合には女子に改むるこそよけれ。(107頁)

 

 正史ならぬ・・・・・と一本釘を刺してはいるが、創作物の目的の第一義を面白きことと定義して、その為ならば性別の変更も厭う必要はないと大っぴらに認めているのだ。このあたり、当時にしては異例なほどに融通が利く。

 

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出たらめの記』が刊行されたのは大正四年、執筆者の矢野龍渓が誕生したのが嘉永三年だから、龍渓64歳時の本になる。


 還暦を過ぎているにも拘らず、この懐の広さはどうであろう。好好爺の見本のようだ。きっと彼なら、アーサーでもネロでも信長でも、テュポーンでもフェンリルでもケルベロスでも、果ては銃器に戦艦、城郭さえも、和洋東西神仏妖魔有機無機、見境なしに片っ端から女性化した現代サブカルチャーの風潮を目の当たりにしたところで、さしたる驚きを示すことなく、それどころか結構結構もっとやれと、寛大に一笑して肯定するに違いない。


 まあもっとも近頃は、少々この女性化モノが蔓延り過ぎて、それ自体が新たなる単調と化してしまっているきらいがあるが。
 この単調を打ち破るべく、人間の精神が次に見出すのは何であろうか。訊けるものなら、是非とも龍渓に訊ねてみたい。これはいよいよ、彼の書に没頭する必要がありそうだ。

 

経国美談 上 (岩波文庫 緑 2-1)

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