橋浦泰雄という画家はちょっと変わった美的センスの持ち主で、
先達に対する敬意はむろん持っている。が、擦り寄り、拝跪し、礼讃し、舐めしゃぶるように凝視する、そうした熱度はついぞ抱けなかったとか。
どころかむしろ鑑賞すればするほどに、日本人の生活目線とのズレを否が応にも感じてしまい、名状しがたい厭味が募る。「例へばあの点景人物の大部分が、支那人だと云ふ事実によって見ても、これ等の作家の美と感じた内容を推知することが出来る。むろん此の観念が技法に影響せぬ筈はない。それでなくても明だとか宋だとか、北画南画とその出所に喧しい連中である」。そんなこんなで親しみにくくなってゆく。──…
彼の趣味とはもっと静かで、素朴なところに在ったのだ。
すなわち彼が好みしは、純粋に日本人の生活中より生まれし美。
橋浦泰雄は、民具を愛した。
そこらの農家の軒下に何の気なしにぶらさがっているような、笠、蓑、ひょうたん、草鞋、籠。ごくありふれた日用品の中にこそ探美欲求の満足を得、創作のインスピレーションの源とする。奇人の類であったのだ。

「民具類の美しさは、むろんそれを作る個々人の技術にもよるのであるけれども、一番重要な点は、その品物なり作法が、家乃至村の古くからの伝承に拠って居ることである。さうした作品は大抵美しい。衣食住冠婚葬祭の用具、或ひは農具漁具類凡てのものが美しい。東北地方によく見る平常着のミヂカ、巧緻なるサシコ模様、蓑や笠の装飾。会津の檜枝岐、飛騨の白川、九州阿蘇地方の民家の屋根。全国各所に見られる蒲の葉で編んだ背負袋、脛当の類。越中山中の五箇で作るコスキ(雪掻き具)、土佐山中の檮原村の天秤棒の如き、その一刀一刀の削り方さへ美しさを湛へて居る」
橋浦はまた、柳田国男に師事しての民族学者の側面も持ち、その縁からか日本民族学会の創立に寄与もしたそうだ。
そういう彼の背景に、これはまことに相応しい口吻だったに違いない。
ああ、何年かぶりに生田緑地を、日本民家園を訪れたくなってきた。
あそこの水車は、

あの樋は、

今日でもなお変わることなく、粛々と水を運び続けているのだろうか。
久方振りに確認するのも悪くない。
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