穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

ビルマの毒刃 ─アサシンと化した仏教徒─


 ゆったりとした服装は、凶器を隠し持つにい。


 その原則に忠実に、──ビルマの僧侶は法衣の下に暗殺の毒刃をしのばせた。


 イギリス統治下時代の話だ。

 

 

 


 抵抗運動の担い手として、ブディストどもはかなりの有力基盤であった。


「民衆の喜捨で生活している我々が、その民衆の希望のぞんでやまぬ『独立』のため、いわゆる民族の未来のために行動するのは当然である」。そうした理屈に、主に基く。ここで謂われる「行動」は、むろんテロルの色彩を濃厚に含むものである。不惜身命、一殺多生の信念が、青年層の僧侶の間に特に蔓延り、彼らを次々閻魔の遣いへ変えたのだ。


 少なからざる英国人が彼らの魔手に傷つけられて、あるいはそのまま黄泉の国へと送られた。

 

 

(『Detroit: Become Human』より)

 


 凄愴酸鼻な血の歴史。その側面から語るなら、アサシンクリードの舞台としてもビルマは有望そうである。


「献身」を為した僧侶らは、追跡を振り切る目的で、多く寺院パゴダに逃げ込んだという。このあたりの消息は、日本の幕末史にも似る。天誅を実行した志士もまた、幕吏の眼を晦ますために寺を利用したと聞く。寺社奉行がどうのこうのと管轄上のしがらみやら何やらで、捕り手が臍を噛むような制約を多々課せられたとか。よく似た社会状況が、ビルマに於いても成立していた。


 ところで幕末と言えばだが、近ごろ極めて衝撃的なエピソードを耳にした。


「最後の将軍」にまつわる話だ。

 

 

Tokugawa Yoshinobu with rifle.jpg
(Wikipediaより、徳川慶喜)

 


『明治維新の全貌』という書の中で藤井甚太郎が語っていたところなのだが、どう・・ショッキングか、論より証拠、まず一読を願いたい。

 


「元治元年の八月、英米仏蘭四国の艦隊が長州の砲台を攻めて占領した、その時に長州藩の或る一人の如きは、長い槍を持って海岸に立ち『この槍が船に届かないのが残念だ』と言って憤慨したと云ふことでありますが、どうも攘夷と云ふことは兵器に関係するものでありますから、中々うまく行かない。このことに付ては慶喜公も私にお話があった。京都に行って公卿の所に行き、『日本の今日の国防力では攘夷は出来ませぬ』と話すと『成程さうか。それはさうだらう』と言はれるからこれならば大抵攘夷の出来ぬことが分ったなと思って帰って来て、翌日行って『攘夷のことはよくお分りでございませう』と言ふと、『よく分ったが、矢張り攘夷は出来る。あゝ言ったけれども、日本人には大和魂と云ふものがある』斯う言はれる。之には致し方がなかったと慶喜公が言って居られました

 


 何かにつけて優柔不断、方針をすぐ左右する、挙句の果てには自分の部下まで欺いて大坂城から逐電したりと、徳川慶喜に関しては毀誉褒貶の激しい人と述べる以外にないのだが。


 上の内容が真実ならば、流石に同情が強くなる。

 

 

 


 公卿などしょせん、背後に控える傀儡師、不平浪士の脚本のまま踊り囀る生き人形に過ぎまいが──。


 兎にも角にも、精神で物質を圧倒できると青筋立てて主張する誇大妄想狂どもが幅を利かせはじめたら、わかりやすく末期の徴だ。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ