穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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騒ぐ蟲


 半島に来て驚いた。


 ここでは冬でも蠅が出る。


 それも一匹や二匹ではない。汚れた羽音を我が物顔で垂れながら、当然のように群れで越冬してやがる。いったい何処から湧いて出るのか、そこを究明せぬ限り、突き止め殲滅せぬ限り、朝鮮の衛生状態は劣悪不快の謗りを免れないだろう。……


 京城帝国大学教授、寄生虫学専攻理学士・小林晴治郎による、苦渋塗れの報告である。

 

 

Keijo Imperial University-old1.jpg
(Wikipediaより、京城帝大理学部正門)

 


 一応、原文を引いておくなら、

 


「朝鮮では冬でもイエバエは発生して居る、故に前に述べた如く冬も幾千、幾万匹捕る事が出来る。然し其発生場所がドーモ分らない。此発生源を究めて、之を除かなくて、単に出て来る蠅を捕っただけでは春の発生防禦には効が少いが、残念にも未だその目的を達しない。此点、内地ではこんな風な冬の発生が余りない様である」

 


 ざっとこの通りの次第。


 現代ですら彼の地は蠅の多い国。ましてや前世紀となれば、そりゃもうごまん・・・と、陽を翳らすほど出ただろう。当時朝鮮に出張を命ぜられた官員が、はやそれだけで病気になるかと恐怖して、顔を真っ青にした挙句、「最悪の事態」に備えんと遺言状を書いて託しておいてから出立したとの巷説も、あながち無根でなさそうだ。

 

 

(鎮南浦)

 


 まあ、それはいい。


 寄生虫学つながりで、いまひとりほど備忘録から引っ張り出したい者がいる。


 宮入慶之助である。


 日本住血吸虫の中間宿主──ミヤイリガイ──を発見したということで、甲州に於ける知名度は割かし高い碩学だ。


 否、高いどころで済むものか。


 山梨に人のある限り、風土病根絶の功労者として、かの名は不朽に近かろう。

 

 

Ph.D.Keinosuke Miyairi.JPG
(Wikipediaより、宮入慶之助)

 


 そういう宮入博士が嘗て、ある場、ある時、ある機会にて、語っていたものだった、

 


苟も一事を人の目につく程度に為し遂げるには、どうでも辛抱が必要、しつこく其事に執着せねばならぬ。小児の歩み習ふ時の様が何よりの手本、やうやっと立ったと見るとストンと尻餅、ニコニコしながら無限に反復する。此の先づ二本の脚で立ち、後の脚を前へ進め進めして歩む稽古が一切万事練習の手本」

 


 人生訓の如きものを、いみじくも。


 どこか徳川家康公の生き様を髣髴する内容に、筆者わたしの胸はときめいた。どうも私の内部には、権現様こそ日本史上最大・最強・最高の英雄なりと定期的に絶叫したがる衝動あるいは蟲のようなモノが居て、そいつがいたく刺戟されてしまった模様。

 

 辛抱・努力・忍耐は、時の涯てまで無限に讃えられるべき人の美徳に違いない。

 

 

(府中東照宮にて撮影)

 


 凡そ人を相手にするとき、相手の心を読むが大切。相手を測量するには先づ自分を知らねばならぬ、自分の悪い所を去り、足らない所を補ふには書物を読むが近道、歴史、伝記、小説の類を精読する。
 精読とは、外国の文ならば日本語に翻訳する、少くとも要点を抜き書きする、貝原益軒の養生訓は抜書を集めたもの、夏目漱石の自信の固まり始めは、ロンドンの下宿屋で抜き書きし抜き書きし、蠅の頭のやうな細い字で書きつけたノートが積もり積もりて五、六寸の高さに達したときだと、文学論の序に書いてある。


──宮入慶之助

 

 

 

 

 


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