「いゝ年をして餓鬼大将でもあるまい」
「売名もいゝ加減にしろ」
「ブルの暇つぶしには丁度いゝや」
日本に於けるボーイスカウトの黎明期。旗頭の一人たる、三島通陽に投げつけられた罵倒のほんのひとかけら。
およそ「新奇」と称されるあらゆる事物一切を、恐怖と憎悪を通して以外見ることの出来ぬ人間も、この世には確実に存在している。
たっぷりと居る。
巷間にわんさか溢れてる。
三島と彼の運動も、やはりそうした人間群の陰湿極まる抵抗を避けられなかったようだった。
冒頭引用三行目に見えている「ブル」とはもちろん「ブルジョワ」の意味。三島通陽が子爵家の、品のない言い方を敢えてするなら「お坊ちゃん」であった点から発想したに違いない。お前のやってることなんて、しょせん金持ちの
この一言でも十二分にライン越え、こめかみの血管を怒張させ、おのれ無礼者めがと家重代の名刀を担ぎ出して許される、致命的侮辱であったろう。

(『ARMORED CORE VI』より)
しかし三島は、一切を忍んだ。
真実はいずれ顕れる。己が現在、打ち込んでいる活動は、本当に価値のあることだ。ならば「時」の力によって状況全部が一変する瞬間が必ず到来するはずと、固く信じていたがゆえ。
もっともそれはそれとして、同時に彼は忘れてやりもしなかった。
誰が、どんな悪口を、自分たちに叩いたか。嘲笑に歪むさも憎体な顔つき含めて、しっかり記憶に定着させた。
このまま愚弄されっぱなしで終われない、終わってたまるものかよと、中途で挫けないように。──活動継続のモチベーションに、巧みに転化させたのだ。
(Wikipediaより、三島通陽)
精神的なバネをしっかり心に仕込んでいたらしい。そういう弾性の持ち主だけが、
「青年団の人からは何時も『西洋の真似すぎる』と、単に服装だけ見て非難されたものだ。それが今では、その非難した青年団が殆どあの服装になって来たのに、私共はある痛快さを持つ」
この「痛快さ」を味わえる。
これこそまさに人生の醍醐味だったろう。
酸味を伴う報復の蜜と呼ぶべきか。そいつを堪能できたのも、倦まず弛まず孜々として努力を重ねたればこそ。
「『継続は力なり』といふ言葉の意味を私は近頃つくづくと感じる。そして、これからいよいよだと感ずる次第である」──月並みながらも万古不変の真実を、三島通陽子爵閣下は晴々とした顔つきで口ずさんでくれている。

(Wikipediaより、三島通庸。三島通陽の祖父に当たる)
我々が本当に生きようとする時、人に笑はれることを恐れてはならない。
──生田春月
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