十八年ぶり四回目の訪英に、石黒五十二は胸躍らせた。
──久方ぶりに本家本元のローストビーフを味わえる。
そんな期待感がある。

イギリスビールもセットでつけて、大いに舌鼓を打とう。思い出すだに胃の腑の唸る組み合わせ、生きてる内に、よもや再び楽しめるとは。
まさに垂涎、湧き立つような希望を胸に、幾千里もの船の旅に堪えたのだ。
ところがいざやブリテン島に上陸するやどうだろう。
「ローストビーフもビールもないので頗る失望」させられている。
さもありなんだ、彼の人生四度目のこの訪英は、大正七年すなわち西暦一九一八年度に強いて敢行されたもの。第一次世界大戦がついに終局を結びつつある、ギリギリの切所のことだった。
(Wikipediaより、石黒五十二)
だから当然、あらゆる物資は絶賛欠乏火の車。肉はすっかり貴重品と化し去ってレストランから姿を隠し、醸造所に至っては、とっくの昔に爆弾製造工場へ転生済みという始末。
食事といえば硬い黒パンが関の山、バターもなしに召し上がれ、これが今のイギリスだと宣告されて、ただでさえ消沈気味だった石黒五十二の両肩は更にずしんと落ちている。
もともと無理な注文だった、と評するより他にない。
そも戦時下の国家へと美食を求めて赴くが端から的外れの思考、画餅の極みであったのだ、と。
裏を返して言うならば、正気も正気でそんな期待を抱くほど、当時の日本国民が世界情勢に鈍感で、正常性バイアスに侵されきっていたことの、証ともなる筈である、この光景の有り様は──。
歴とした参戦国であるというのに。
現代戦に対する無理解、当事者意識の欠落は、空恐ろしいばかりであった。

(サラエボ。×マークが暗殺現場)
「ハイドパークには公園の南西の角地面に芋畠やら葱畠が造ってある。之れだけの少量では勿論ロンドン市民の食糧の九牛の一毛にも足りない訳であるが、詰りは一種の示威運動なのである。リッチモンドパークはハイドパークに比して、何十倍と云ふ広闊なる面積を有して居るが、ソンなものは植へてない。其代り蕨が沢山栽培されてある。英国官憲から我大使館へ蕨の喰ひ方を尋ねに来たことがあるさうだ」
なんともはや素晴らしい。
これぞまさしく島国同士の心温まる交流だ。
同盟を結んだ甲斐があったと、きっと

おいしいものは何でも自分の国が元祖であると威張ってゐるフランスも、どうしてもイギリスに兜を脱がなければならないものが三つある。それはローストビーフと、スッポンのスープと、プラム・プティングだといふことである。
──河盛好蔵
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