穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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悩ましき草魚


 昭和三十二年が最初ではない。


 皇居のお堀に外来種──ソウギョが放流されたのは、だ。

 

 

Grass carp fexx.jpg

(Wikipediaより、ソウギョ)

 


 環境省の資料には「ソウギョ及びハクレンは、水草除去のため昭和32年、41年及び56年に公的に放流されたものである」と書かれているが、なんの、遡ること二十一年、大日本帝国時代にも、まったく同じ目的──繁茂する水草対策──で試みられたことがある。


 作曲家にして水産学者、「お魚博士」末廣恭雄の著書中に、その旨シカと見出せる。

 


「多分昭和十一年のことであったと思ふが、宮城のお濠に水草が繁茂し過ぎて困ったことがあった。その際草魚といって、満洲や支那の河川に特産し水草を主食とする魚を、草退治の目的で移殖したことがあった。移殖の結果は、たいした効果も挙らなかったと記憶するが、草魚を使ってお濠の草を掃除するといふ記事が新聞にでかでかと掲げられた為、大分世間の注意を惹いたことは事実であった」

 


 環境省はなにゆえに、これをスルーしたのであろう。


 斯くも明白な前例を──。

 

 

 


 戦火で資料が焼失したか?


 それとも昭和十一年の草魚放流計画は、公的なプロジェクトではなかったと? だからカウントしなかった? いやいやまさか、他所ならともかく皇居だぞ? 如何な篤志家、研究機関であろうとも、公権力の認可なくして手前勝手なふるまいが罷り通るわけがない。帝国時代であればこそ、そのあたりの線引きは却って厳重だったはず。


 となればいっそ考慮すべきは、昭和十一年の「草魚」と三十二年以降の「ソウギョ」は音こそ一致するけれど、実はまったく別種の魚な可能性。およそ魚類の名称が土地や時代でまちまち・・・・で乱脈を極めていたことは、

 


「水産が科学的でない証拠には、取扱ふべき魚の名が滅茶苦茶であることを以てしても判る。折角学者が正しい学術名に従って、魚名の統一をはかっても、業者は殆ど馬耳東風である。そして同一の魚に十何種類の方言が出来たり、別種の魚が同一の呼名で呼ばれたりしてゐる。その結果はどうかと云ふに、水産を発展せしむべく努力しつつある我々技術者の仕事をどれ程煩雑に、如何に不正確にするか判ったものではない」

 


 これこの通り、やはり末廣博士によって抉り出された問題だ。


 同じ祟りに、今の筆者わたしも禍されているのだろうか?

 

 

 


 まあ、なんにせよ、すべては推測の域を出ぬ。

 

 皇居の堀へのソウギョ放流計画の起源に関してこれ以上、追求するのはどうも無理、疑念を投げておくことが、筆者の力量チカラの限界だ。


 外来種というやつは、いやはやまったく悩みの種に違いない。

 

 

 

 

 


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