花田長太郎は棋士である。
一手一手に理が宿る、荘重華麗な指し回しもさることながら、終盤戦の競り合いに特に秀でていたがゆえ、「寄せの花田」の異名をとった昭和のA級棋士である。

盤上の死闘を制するために生活の大半を捧げて厭わぬ、そういう花田が、かつて語っていたものだ、
「『勝負』といふものには『理外の理』が伴ふ。『理外の理』といって語弊があるなら、人間の判断を超えたところに、何か『神の摂理』があるといふことは、誰でも知ってゐる」
と。
本当に「誰でも知ってゐる」かどうかについての詮索は、ひとまず措いておくとして──。
将棋に不思議の勝ちはあり。少なくともこの人は、「ある」と確信していたようだ。

もっとも花田の性格は、思考停止を許さない。不思議を単に不思議だなぁと放置せず、その不思議さの因って来たる根本をあくまで窮明せずんば已まぬ点にこそ、彼の凄味もあったのだろうが。
大袈裟な言い方をするならば、神の領域に至らんとして日夜頭脳を酷使する、おそるべき探求の徒であった。
「木村名人は、いつも『勝将棋を勝ちにすることが至難だ』といふ。些か逆説的な表現であるが、好局に、鵜の毛で突いたほどの心のゆるみがあったとする。すると、必然的に相手の立場としては難局である。難局に在る者は、常に浮び上らんとする。この場合、意識、無意識の間に、好局の者は受身であり、難局の者は能動である。だから、鵜の毛で突いたほどのゆるみがあったとしても、そこへ、相手は斬り込んで来るであらう。
この、受動者の一寸のゆるみは、能動者の一尺の機会となる。決して、おもてには現れない心と心の競り合いであるが、一尺の機会を与へられた者は、『盛り返さん』とする必死の努力を、この間隙に爪を立てるやうにして入り込むであらう。この爪の立つほどの間隙が、大きな開きとなる」
これはもう、そっくりそのまま『ハチワンダイバー』に登場しても違和感のないキャラ立ちだ。
将棋盤に魂を喰わせた鬼の姿といっていい。

(『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』より)
全く以って勝負事とはゲタを履くまでわからない。福本伸行の作品を、久方振りに一通り読み返したくなってきた。
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