大正十五年の秋期。
山本英輔指揮のもと長大な航路に就いていた海軍練習艦隊は、ついにフランスの岸を見た。

ツーロンを経てマルセイユ港に錨を下ろし、乗組員らは更にそこから陸路にて、パリの都へ御招待。盛大な歓迎を受けている。
フォッシュ元帥との対面も、その
否、一環どころの騒ぎではない。明らかにメインイベントの格である。
フェルディナン・フォッシュ。第一次世界大戦期間中、特にマルヌの会戦に活躍した名将だ。彼の武名は、既に天下に定評がある。僅かなりとも軍事に興味を持つ者ならば、この時期知らぬやつは無い。
グレート・ホワイト・フリート来航の折、日本政府が東郷平八郎をして接待役に担ぎ出したに、やや似るか。

(横浜、山下公園から撮影)
ともあれフォッシュ元帥である。七十の峠を越えて久しいこの老将は、山本以下帝国海軍士官らを引見して口を開くに、
「余は、日本の軍人に接する毎に、名誉を重んじ、祖国を愛するの熱情が、その心中に旺溢するを思ひ、感に打たれないことはない。只今諸君の列前を通って、親しく御目にかゝったが、同様の熱情が諸君の心胸に漲ってゐることを認めた。願くは諸君、常に確実に国旗の名誉を守護するの念を保たれよ。然らば貴国の偉大さを常に確保することを得よう」
こんな言葉を与えたそうな。
この一件に限らずに、西洋人の国旗に対する尋常ならざる情念を記した文章は数多い。
(Wikipediaより、フェルディナン・フォッシュ)
「能率の父」上野陽一その人も、かつて遊んだ米国で「忠誠の誓い」をやっている、まさに現場に遭遇し、精神に一大衝撃を受け、その衝撃を余すことなく
「大抵の小学校に行って見ると、黒板の傍に大きなアメリカの旗がたてゝある、毎日起立して敬礼させるところさへある、国歌を奏するときは皆起立脱帽して敬意を表する、しないと
こうして紙上に写し取り、残してくれたものだった。
「米国の旗は自由を意味し、平等を語り、正義を唱ふるものであって、即ち米国の意気、米国の理想が此の旗に依って現されてゐるのであるから、此を打振る時、米国一億の民衆は自由の為に、平等の為に、正義の為に立たねばならぬといふ非常なる米国の国民意識、米国々民意気を奮起さすのである。即ち米国人は此の旗の誇る精神に依って欧洲の大戦に加はった。この国旗の精神は実に一億の米国民が奮って難に赴くの精神を呼び起すものであった」
こっちの分析をやったのは、大迫元繁なる男。九州出身、政治家で、青少年の教育に心を寄せていたらしく、その形跡が、著書の題にも窺える。
上の如きは格好の「教材」だったろう。
国旗への思慕、憧憬、敬意の烈しさは、やはりアメリカが一番か。

(『DEATH STRANDING』より)
なお、ついでながら付け足すと、山本英輔率いる海軍練習艦隊は、フランスに至るより先に、トルコに寄った。
首都として新たに選定されたアンカラの街を訪れて、救国の勇者ムスタファ・ケマルと膝を交えて語り合う、垂涎の好機に恵まれもした。
同市に滞在中のこと、
「ケマル政府が、目下力を盡してゐるのは、教育の改善、衛生の改良、鉄道の拡張、産業の発達である。アンゴラにもケマル前夫人の建てたといふ学校が二つある。君府附近にある外人経営の学校にも、ケマル大統領の写真を掲げることを強要し、従はぬものには閉鎖を命じたといふ位である」
斯くの如き情報を、山本は耳に入れている。
英雄的独裁者の面目躍如であったろう。

(ムスタファ・ケマル)
世界大戦の終結から十年を出ないこの当時、世界中どこの国であろうともナショナリズムの涵養は喫緊の課題なりとして、為政者どもは大わらわになっていた。
そういう世紀だったのだ。

多数の異人種を統一し、各人種が均等の権利をもつことは華々しい政治的夢想であるが、それはついに夢に過ぎない。
──ムスタファ・ケマル・アタテュルク
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