かつて、
生糸の原料、蚕の繭に関してだ。

昭和五年の日本全国繭の総生産額は、一億飛んで六百四十六万と四千五百十六貫。
トン数換算で四十万トン弱にも当たるが、それは今回、別にいい。
重要なのは一貫の繭を紡ぐのに必要とされる蚕の数が、実に平均、二千匹であることだ。

この公式に則れば、上の産額を支えるために
正確には二千百二十九億と二千九百三万プラス二千匹。これら全部が羽化する前に湯に投ぜられ糸をとられたのだから、



ところで
無数の蚕が葉を食らう、絶え間なく降る雨のような音色に包まれ育ったと、何度も何度も母の口から聞かされた。

祖母も、曾祖母も同じ体験をしただろう。
してみると昭和五年に集荷された一億貫の繭の中には、私の先祖が丹精込めてつくった品もいくらか含まれていたワケか。
そのあたりに思いを馳せると、コレが単なる無機質な紙上の数字でなくなってくる。名状しがたい繋がりを、どうにも感じさせるのだ。

繋がりといえば、祖母の着物を母が袢纏に仕立て直して、私に着せてくれたりなんかもしたものだ。100%シルクの逸品。山梨の冬、乾いた冷気を、あれで幾度凌いだか。
おかげで私は絹擦れが如何に素敵な響きであるか、耳に親しく知っている。三代に亙る繋がりへの実感と、この「素敵さ」は、たぶん連れ合いになっている。

──以上、横浜シルク博物館を見学中に、湧いた想念の群である。

なんだかんだで結構方々に繰り出した、今年のゴールデンウィークだった。
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