穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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「知ってるかい? 人は皆、獣なんだぜ…」


「頭脳は文明、身体は野蛮」。

 

 明治の人材育成の、これが一つの理想像。新たな時代を担ってゆく青年は、とかくそのようでなければならぬ。軍人、政治家、新聞記者に、医者も含めてみんながみんな首肯うなづいた。

 

 

 


 志はご立派だ。正直、異論を捻じ込む余地がない。が、高尚であればあるほどに、問題となるのが実行手段。どれだけ美しかろうとも、絵に描いた餅では意味がない。如何にして現実に反映させるか、争点は常にそこ・・である。その・・解法を模索して、碩学どもは智嚢を絞る。


 福澤諭吉は、この点明快至極であった。


 ──まず肉体から仕上げてゆくより他にない。


 体育先決、筋骨を発達させてから、順次知育に及ぶべしとは事あるごとに彼の唱えた、口癖に近い説だった。

 


子の産れ出でたるときは、人間の子も亦一種の動物なりと観念して、其智愚如何は捨てゝ問はず、唯その身体の発育を重んずること牛馬犬猫の子を養ふと同様の心得を以てして、衣服飲食の加減、空気光線の注意、身体の運動、耳目の習養等、一切動物の飼養法に倣ふて発育成長を促し、獣体の根本既に見込みを得たる上にて徐々に精神の教育に及ぶべし。…(中略)…先づ獣身を成して後に心を養へとは、我輩の常に唱ふる所にして、天下の父母たるものは決して此旨を忘るべからず。注意に注意して尚ほ足らざるべし」

 


 日本で初めて校庭に鉄棒やら何やらを備えつけた人物の、面目躍如であったろう。

 

 

(千代田小学校)

 


 ところが国家の大方針は、必ずしも福澤と歩調を同じくしてくれぬ。


 時の要路は、むしろ精神教育を先行させんと試みた。半獣的な脳みそに、いきなり高遠な哲学をぶち込まんとしたわけだ。その性急さ、愚策ぶりに関しては、後に森銑三なども批判の槍玉に挙げている。

 


「文部省では、明治六年刊行の小学教科書に改訂を加へて、『小学入門』の一書とした。それに甲乙の両号があって、甲号は七年に、乙号は八年に版になり、それから十年台には、両号とも広く行はれた。その乙号の文の始めに、「神は天地の主宰にして、人は万物の霊なり」とあるのに驚かされる。むつかしいこともむつかしいが、同時にまた西洋臭い。この「神は天地の主宰にして」云々の文句を、七八歳の子供が、小学校に入るなり教へ込まれたのである。それから少し先へ行って、これも有名になった「酒と煙草は養生に害あり」の句がある。一向に児童的でない

 


 日本の小学教科書が三級品であることは、悲しいかな学制施行からこっち、どうも、代々、変わらない。

 

 

 

 

 


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