神社仏閣参詣で大感動を発したと。──日本旅行の印象を誰かに訊ねられた際、間髪入れず

(日野市にて撮影)
その感激の淵源は、なにも建築の妙趣に因らず、坊主や禰宜を動員しての大がかりな儀式に因らず。ただ日常の習慣として神域に出たり入ったりする日本庶民階級の、ごくさりげない仕草や態度、礼法等をとってこそ、
──これこれ、これよ、こうでなくてはならんのよ。
期待通りのモノを見たとの満足を、胸の底から湧かすのだ。
実例を引こう。
イタリアが歴史に誇る発明家、「無線電信の父」の名をほしいままにする男、グリエルモ・マルコーニが明治神宮を訪ねた際の情景だ。
「明治聖帝の御威徳を偲び奉る為に神宮に詣でた余は其清浄幽邃の神苑に一歩身を入れた時に、ひしひしと身にせまる大圧力を感じた、此形容は如何なる大文豪の筆を藉りても其一片をも描写出来ぬものであると信じてゐる。余は此神宮に於て黒い制服をまとひ、茶褐色のゲートルをまいた大学生が、数名の陸軍将校の指図によって整々と粛々と砂利道を踏んで参詣する情景を目撃した、そして日本人の大学生が如何なる精神的鍛錬をなされつつあるかを推察した、故国イタリーに於ても青年、大学生の訓練は真に猛烈で果敢である、而し之と彼とを対比して余は非常に学ぶ事があった」
(Wikipediaより、グリエルモ・マルコーニ)
「茲に富強日本の最も重大なる根拠がある、根拠をつきとめずに幾百千の末節をさぐるも、それは原理を没却して末梢の発見に齷齪する斜眼学者のおろかにも等しい」──と、通信革命の導き手は、ほとんど我を忘れる態で激賞したといっていい。
もう一人、今度は星条旗のお国から、──アメリカ人におでまし願いたく思う。
学校法人「聖学院」の創設にも関わった、宣教師にして哲学博士、ハーヴェイ・ヒューゴー・ガイにより嘗て為されたコメントである。
「現在の支那は無政府状態ですべての寺院、仏閣、堂宇は瓦は落ち壁ははげてゐる、山東の孔子廟の荒廃は何を語るものでせうか。私はこれ程宗教に無関心な国を他の何れの地にも見ない、かつて私が天津に黎元洪氏を訪ひ支那を救ふの道を尋ねました時、黎氏は『教育』の一語をもって答へたが『学問』のみが国を救ふのではありません、先日奈良に参り法隆寺に詣った時堂宇の整美と荘厳、そこに参詣する人達の敬虔さを見て日本が有色人種中立派な存在を保つ唯一の国であるゆゑんはこれなる哉と思った、支那人がこの点に気付かなければ悲惨な現状を脱却することは出来ません」
先人たちの心根の、その純朴にして爽やかなる有り様よ。
且つまた一言するならば、斯かる美質を過不足なしに汲み取れる客人たちの目も貴し。
外国人観光客の水準がこぞってこのレベルなら、両手を広げていくらでも歓迎してよいのだが。
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