わけのわからぬことにばっかり気を配る。
「およそ商店の店員はなるたけなるたけ粗服で通すべし、あまり身綺麗に装いすぎて客を凌いでしまった場合、はからずしも先方に、無用な恥辱を与えるやも知れぬから」──。
斯くの如きシキタリが、大正・昭和の日本には、どうも蔓延っていたようだ。
その傾向が行き過ぎて、半裸で接客する者も、さして珍しくなかったと。
昭和三年、ふとした縁から海外旅行の好機を掴んだことにより、大西はこの陋習を、正しく陋習と認識できたそうである。大英帝国の心臓部、ロンドンを街歩きしていた際に足をとどめた商店で、モーニング服を着こなした従業員らと相対し、やっと迷夢から醒めたとか。
謙譲も度を失すれば見苦しい。遮二無二おのれを低く卑しく演出さえしたならば、それで礼を盡した
「日本では、顧客より店員が美服を着ることは顧客に侮蔑された感じを与へるとして専ら粗服を着るのであるが、此見方は正しいと思はれぬ。各商店の商品種別と顧客の範囲に応じて店員の服装を定め、それによりて顧客に最もよい感じを与へることは商人にとって重要なることの一つである。日本で服装に注意せぬ商人を屡々見る。殊に夏に裸体で顧客の前に出て平気で居るものや、相当の商店にても薄シャツ一枚に脛を現し、又は腰巻姿で居るものがあるが実に不体裁である。且つ顧客に不快の念を起さすのである」
異なる文化と接触することにより精神に大衝撃を受け、これまで夢想もしなかった新たな視角を得るという「洋行」の持つ醍醐味を、この帽子屋も十分に堪能できたようだった。

(大西善太郎)
明治初期には民間企業の分際で政府吏員を凌駕する高給取りになるなどと、そんな不敬は許されぬ──と、いたずらに神経をとんがらせたり。
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