益田孝の宗教観が面白い。
彼は大胆な男であった、エネルギッシュな漢であった。進取的、発展的な色彩を、その性格に多分に含む者だった。
従って神饌という儀式行為に関しても、単なる神への

彼は言う、
「我が神道の儀式に於て山の物、海の物、田の物、畑の物其他さまざまの食品を神に捧げるのは、これ畢竟斯くの如く働きて食糧は潤沢で御座ります、食糧潤沢なれば我々子孫益々蕃殖して益々国土を開拓致しますと云ふことを神前に報告する次第であると思ふ」
と。
なんともはや、個性的な解釈だ。
食糧問題解決の為の研究に私費を投じて悔いなかっただけはある。
益田孝は現状維持に満足できない男であった。大日本帝国の運命は、今後ますます隆昌に赴かねばならないと、奕々として宇内に輝くべきである──と、確信している者だった。
その構想の基礎として、食糧自給は欠かせない。
(Wikipediaより、益田孝)
さて、どうやって──問題解決を図るため、具体的な手法に関し彼の記した展望を覗いてみると面白い。益田孝に農林・商工大臣を兼ねてもらいたいと言った、平田禿木の心境にいよいよ添えることだろう。
「如何に滋養に富みたる食物でも外来の物では問題である、自国に於て沢山出来ねばイザと云ふ場合に役に立たぬ、然らば

(大豆の集積)
間接食糧を直接食糧に切り替えんとする仕業にはよほど執心していたようで、およそ魚類に関しても、言及の
「油を搾り取ったる後之を糟と称して肥料に消費する鯡の如きに至っては牛肉に倍する程の蛋白質を有して居る、是等を充分に研究して食物に資する智識を進めたならば、我が国内の材料決して乏しくない、国内の材料を以て国民の筋骨を養ひ且つ其の蕃殖を益々盛んならしめ得ると思ふ」
右田正男が膝を打ち、我が意を得たりとのびあがって叫びそうな言だった。

「人口如何に蕃食するも国内の食物に不足はない、例へば何時世界各国から攻撃されても封鎖されても差支ないと云ふ丈の自信を確かめたい、既に充分の食物あり平和の生存競争に於ても世界を相手として恐れぬのである、廉価にして滋養に富める食物を食って大に働くのである、廉価なる製品を以て世界を風靡するのである」
商人にして祖国の前途をこれだけの熱度で慮れる人材が、現在の日本国内に何人残っているだろう。
今改めて眺め渡してみた場合、筆者としてはこの点到底楽観できぬ、心細くてたまらぬ限りのことである。
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