一見の客が唐突に高価な品を台に置いても、質屋はまず相手にしない。
盗品の疑いがあるからだ。

(『プレイグ テイル -レクイエム-』より)
以下の話は大正八年、「白浪庵」のペンネームにて『実業之日本』に掲載されたとある記事、「当世質屋物語」を基にしている。
曰く、なんでも、質草にとった品物が盗品であるとわかった場合、ブツは警察に取り上げられて、店には一銭の補償だに為されずじまいな仕組みとか。
つまり完全な泣き寝入り。自己責任論の、まさに標本。やってられない話の極致。
それでも現代社会なら、質屋向けの保険というのも各種取り揃えられていて、セーフティーを掛けられなくもないのだが。──どっこい大正の御代の昔時には、そんなサービス、影も形も見当たらぬ。
己の迂闊さ、咄嗟に欲に眩惑された心の弱さが十悪い。そう観念して、臍を噛むより仕方ない。

(『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』より)
だから真っ当な質屋なら、一見の客には大抵用心したものだ。
門戸の狭さは、単に気位の高さゆえ、傲慢の反映のみでなく、防衛の意図もあったのである。
しかし中にはとんだ不心得者もあって、不徳の品と薄々察しておきながら、敢えて安値で質草に取ってしまう店もある。
盗品だとバレぬまま、流質期限に到達すればそれでヨシ。古物屋にでも売り飛ばしてしまえれば、少なくとも質屋一個の立場では、そこで万々歳である。後からいくら事件性が判明しても、質屋に賠償義務はない。知らぬ存ぜぬでやり過ごすのは至って容易。厳しいようで存外緩い、法律の穴の一つであった。

(同上)
よしんば期限到達以前に盗品だと露見して、警察にどやどや乗り込まれても、この種の手合いは絶対にタダで転ぶをヨシとせぬ。執念かけて
旦那、旦那、手前にどうか情けを掛けておくんなし──と。
憐れを誘う声色で、
「全く贓品と知らないで質にとりましたので、お宅様でも、一度なくなったものが出ましたのですから、お儲け遊ばしたも同じですから、どうぞ損をした手前共を、可愛相と思召したら、いくらかお助けに預りたいもので……」
このような口上を奏で上げ、幾許かでも財布の紐を緩められれば御の字である。
全く以ってこの欲界に相応しい、我利我利亡者の姿であろう。
やはり他人は疑ってナンボな生き物だ。
単純一途な性善説では、百年前の世の中だって満足に渡りきれやせぬ。
本質的に、人間は人間に対して狼であるということを、この年の瀬に今一度、心に刻むべきだろう。

ホッブズ氏が二百年前に言ひし事は矢張真理にして今日は最も真理なり。立憲政体の名は立派なれども、その実を窮むれば、唯一狼の呑噬を防ぐに数狼の呑噬を以てすといふに過ぎず。即ち狼と狼との対塁によりして僅かに社会の平和を維持するに外ならず。
──陸羯南
(白浪庵は宮崎滔天の號だそうだが、さて…?)
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