日本人の宿痾とされる、「過度な精神主義」への批判。
俗にいわゆる「大和魂」、「心の力」をめっぽう重視するあまり、ちょっと難局にぶっつかるともうすぐに
少なくとも日露戦争直後には確認可能な傾向である。
志賀重昂が、それをした。
旅順の地獄を筆頭に、従軍記者の肩書きで第一線に身を置いて、戦地のリアルをまざまざと見た重昂は、二十世紀の戦争が如何におそるべきシロモノか、骨の髄まで思い知ったらしかった。
だから言う。
言えるのである。
根性で弾丸は曲がらない。如何に尊貴な精神性も、物質力の庇護を伴わざる限り、戦地にあっては朽木の如く薙ぎ倒されるを避け得ない、まこと儚い存在という、当たり前の
「数学的思想と近世的智識とは将来の戦争に最も必要なり、戦争の本領は精神なれば、戦争に精神の必要なるは云はずもが、我国今日の如く戦勝の原因を以て唯に精神のみにありしと呼号する人多く、『何に物質的の事など云ふに足らず』など、只管『大和魂』、『武士道』のみを説きて揚々自得するに至ては、其の結果遂に如何ぞや。…(中略)…ロシア人は西洋人中にて最も無学なる者、無識なる者なりとは、西洋人の斉しく唱道する所なり、而かも此の最も無学無識と呼ばれたる者にてさへ、今回の戦役に科学と数学とは軽蔑すべからざるまでに応用し居たるなり。若し夫れ万一の事ありて、ロシア人よりも叡智ある国民と干戈を交ゆるが如きことあらんか、今日の如き思想を持続すれば、不覚を取るべしと只管憂ふなり」
勝って兜の緒を締めよとはごく聞き慣れた古諺だが、それにつけても戦勝ムードで浮かれきった大衆めがけてよく言えた。酔っぱらいの顔面に、真っ向氷水を浴びせるような、こんなあくまで一直線な忠告を──。

(『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』より)
とち狂った壮士から怒鳴り込まれる危険とて、十二分にあっただろうに。志賀重昂の胆力は、蓋し大したものである。
思えば昭和十一年に『知らねばならぬ今日の重要知識』を著して、
「今日の戦争は、精神よりも武器である。優秀な武器の前には大和魂も木ッ端微塵である。爆弾三勇士の勇気を称へるのはよい。だが優秀な武器があったなら、彼の勇士をむざむざ犠牲にせずに済んだらう」
既に膏肓に入りつつあった精神主義への偏重を、一切怖じ憚ることなしに正面きって批判したのも、重昂と同じ姓を持つ、志賀哲郎なる者だった。
(Wikipediaより、爆弾三勇士)
むろん、偶然に過ぎまいが。──そうと自覚しながらも、こみ上げる興趣を抑えきれない、これはいみじき一致であった。
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