一九一八年十二月、和暦に直せは大正七年度の師走。
ウッドロウ・ウィルソン大統領の名の下に提出された教書には、連邦議会のみならず、太平洋を隔てた先の日本の朝野の心さえ、大いにざわめき立てられた。
「一年前に於て吾人は海外に僅に十四万五千九百八十人の将卒を派遣したりしに過ぎざりき。然るに爾後吾人は百九十五万五百十三人即ち一ヶ月平均十六万二千五百四十二人を送れり」
とりわけ、特に、この部分。この内容に関してだ。

(米国下院)
なるほど確かに、話題になるのも当然か。なんだかんだで曖昧だった──「張子の虎」説すらあった──アメリカの戦争能力が、これ以上は望むべくもないほどに明瞭に示されたのだから。
「短時日間に斯る大兵を募集し、且つ訓練して之を輸送することは容易の業ではない、実力の強大な国にあらざれば到底出来ぬことである」
増田義一の短評は、理に適ったものだった。
もっともこうして送り出された軍隊は、その派遣先たるヨーロッパ、就中「光の都」たるパリで、結構な悪評を招いたが。

その情景は鶴見祐輔の著書に於いても、蜷川新の紀行文にも見出せる。たぶん探せばもっとたくさんあるだろう。しかしひとまず今回は、
「パリ其他の町に於ける米兵の行動は一般フランス人から擯斥されて居る。第一回の兵隊は精選兵にて甚だ宜かったさうでありますが其等は早く討死し、後から来たのは感心の出来ぬものが多かったとの事です。それが為にフランスの人民は米人は粗暴で文明低級の民だと云って居る。実際其行動が英仏人の如くに上品でない。…(中略)…何処へ行っても米人は黄金万能で宛然美しい女を捉へてお前は幾らで己の自由になるかと質問をすると云ふ事です。皆呆れて居るやうな有様であります」
蜷川新の言のみを引用しておくことにする。
なんとなれば鶴見祐輔が報告した「悪評」も、電話越しに交換手たるフランス婦人を口説こうとして卑猥なセリフを盛んに発信しただとか、つまりその種の好色的な衝動の発現絡みが多くを占めているからだ。

(『SKYRIM』より)
当時の情勢を知る者は、なんだ、その程度のことで、援軍に来てもらった分際で一丁前に生意気ほざいてんじゃねえ、アメリカの参戦なかりせば、貴様らなんぞ九分九厘、ドイツの軍靴に蹂躙されていた癖に──と思われるかも知れないが。
そもそもからして敵味方に拘らず、他所の国の軍隊に自国の領土を我が物顔でうろつかれ、好感を抱ける道理など、存在するべくもなく。
フランス人の反応は、蓋し妥当であったろう。
早い話が余所者なんぞ、用が済んだらさっさと失せろの精神である。

(viprpg『Go To Hell』より)
この固陋さはどこの国のどの社会にも──程度の差こそ伴えど──確実に発見可能なものである。
社会的動物である人間は、本質的に保守的である、何かにつけて事なかれ、現状維持を好みたがる習性と、これはおそらく無縁ではない。
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