頻繁な火事なかりせば、お江戸の街はああまで永く繁栄を保ち得たろうか?
「すべからく、破壊からの復興は経済成長の土壌」とは、『ACfA』で耳に馴染んだ言葉であった。同様の理屈に基いて、定期的に烏有に帰していればこそ、都市経済は比較的円満に回転し続けて、江戸の長寿は叶ったのではあるまいか──。
そのような趣旨の観測が、相当以上に古くから論客の間で行われている。

(『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』より)
有名どころを挙げるなら、たとえば新渡戸稲造の如きさえ、全肯定とはいかずとも、この種の説に一定の理解を示した形跡が残されているほどである。
それに曰く、
「火事は江戸の花だと云ふたのは、啻に其光景の華々しく賑で、一時人の目を喜ばせ人の気を引立せるばかりでなく、江戸の繁盛は火事の屡々起るに由ると思はれたのである。火事がなければ大工左官は失業者となる、消防夫は元気を失ひ、或は閑にまかせて悪事をする。火事がなければ瓦屋、材木屋は用がなくなる、木伐りや柾も業を失ふ、又火事があればこそ新築の家も出来たり町の体裁もよくなるといふ如き説の下に、まさか火事を奨励もしなかったが、大して悪いものとも思はなかった。勿論昔の家は今日に比すれば粗末であって、火災に罹っても社会の失ふ価値は金額に積って大したものではなかったらう」
げに逞しきはスクラップ&ビルドの
ここから再度眺め直してみた場合、平賀源内の発明品──「火浣布」と名付けられたあの、アスベスト製の防火シート──を退けた某幕閣の物言いも、当時にあってはさまで奇矯なモノでなく、むしろ割合、一般論に近かったのやも知れないと、そんな視点も湧いてくる。


(viprpg『大人になるって悲しいことなの』より)
人間世界の沙汰事は、つくづく以って一筋縄ではくくりきれないことばかり。
空気のひときわ乾いた午後に、そんなことを考えた。
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