もはやすっかり、冬である。
ちょっと前まで長引く夏に辟易していた筈なのに。──ふと気がつけばコタツに脚を突っ込んで、みかんを頬張る時季である。
光陰矢の如し、時の流れは無常迅速。承知していた
ところでだ。みかんといえば井上馨は、あのくだものの食い方にちょっと一癖あったとか。
内皮を剥かない。
アルベドという、無駄に格好いい名前をした白い筋の部分まで、みんな余さず食っちまう。

なんだ、たかだかそれしきのこと、癖と呼ぶには大袈裟すぎる──と、一瞬思いたくなるが、どっこいこいつは明治の話。改良に改良を重ねる以前の、未だ内皮の厚ぼったかった十九世紀のみかんに対する措置なのだ。
当時にあっては、内皮はすなわち残すもの。斯くありてこそ「食べ方」として常道であり、そういう前提あればこそ井上馨の振る舞いも、彼の個性の豪放ぶりを反映したモノとして瞳に鮮やかだったのだろう。
さもなくば、
「…老侯の
朝比奈知泉ほどの文士がこの程度の情景を、態々こうして筆を走らせ事々しくも記録化し、後の世にまで伝えんとするわけがない(昭和十三年『老記者の思ひ出』より)。
井上馨の生地たる、長州すなわち山口県には「みかん鍋」なる珍味があって、煮えたぎった鍋の中、ネギや鶏肉、海鮮類と相混じり、外皮を去りもしていないみかんが丸ごとぶち込まれ、特異な風味を醸し出し。──インパクトのある外観とも相俟って、県外人をしばしば驚倒させている。
塹壕の中に寝ても、氷の水で顔を洗っても、身体は何ともないと云ふ様な人間を作らなければならぬ、然かし其れだけにては野蛮人を作るのである、此人が二の膳を前に据えられても立派に礼儀を守って上品に之を食べると云ふ様でなければならぬ。
──乃木希典。「頭脳は文明、身体は野蛮」。
明治に於ける人材育成の理想であった。
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