一次大戦後のドイツ、──ワイマール政体下に於ける超インフレは有名だ。
有名すぎて、敢えていまさら詳説するのも野暮ったい。
現代日本人ならば、ほとんど九分九厘までが義務教育の過程にて、マルク紙幣のブロックみたいな札束を積み木代わりにして遊ぶ、当時のドイツの子供らの写真を目にしたことだろう。
(Wikipediaより、壁紙がわりに貼られるマルク)
だがしかし、その大量の紙幣を刷った側の苦労は、どうだろう。あまり知られていないのではあるまいか。
子供が玩具に出来るほど夥しい札束を社会に氾濫させるには、当然ながら印刷機という印刷機はフル稼働、毎日毎日物凄い紙とインクを呑み込ませねばならなくて。
ついには国の設備のみでは追っつかず、民間、すなわち新聞社の印刷機まで動員し、なりふり構わずカネを作った有り様が、例の小泉英一の『伯林夜話』に載っている。
「国民生活を安定する為には、マルクの下落を止めなくてはならぬ。然し目下の処では、政府は国立銀行に命じ印刷局は元より新聞社迄も依頼し全力を盡して紙幣を発行せしめ、大蔵證券を振出しては金を使用し何等の成算はない。これでは到底マルクの底落を止めることは出来ない、…(中略)…此に於て政府は外貨集中に腐心し、輸出税を撤廃し、輸出を奨励すると共に、外貨徴発令を発した」
左様、「外貨徴発令」。
名前からしてもう既に厄ネタ臭しか感ぜられないこの法令が、果たして現実に効力を発揮した
「それは目貫の大通りの大カフェーを一斉に警官を以って包囲し徴発官が乗り込んでその中の客の懐中を虱潰しに調べ上げて外貨だけを徴発し去った。又突然大通の二ヶ所を数十の警官を以って遮断し、その中の通行人の懐中から外貨を巻き上げた」
政府ぐるみで窃盗団にでも化したが如く。
不景気もここまで極まると、もはや悲愴を通り越し、一種滑稽味を帯びる。

滑稽といえば、一九二二年、元号にして大正十一年、関東大震災の前年だ。戦時公債の始末をめぐってジェノヴァ会議が
「ジェノヴァ会議が終って、欧洲諸国の全権委員が各々滞在費を支払ふた。其の支払い方が国々によって違ふ。
英国全権は金貨で支払った。英国にはまだ外国に支払ふべき金の余裕がある。
仏国全権は小切手を出した。フランスにもまだそれだけの信用はあった。
ドイツとオーストリアは不換紙幣で支払はねばならぬが、其の価格は紙屑同然になって居るので荷車一台に、山の様に積んで来て、支払ふた。
ロシアに至っては一つの箱を送って来た。宿屋の主人が不思議に思って開くと、見た事のない機械が入ってゐた。これはまちがひだらうと思って聞きかへすと、返事は斯うであった。我国では紙幣は紙屑同然で到底運び切れない、これは紙幣の印刷機械であるからお前の方で入用だけ印刷せよ」

(『アトミックハート』より)
つくづく以って、貧乏というのはしたくない。
況してやそれが国を挙げての状況ならば、尚更だ。
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