赤い
下村海南、幼少期の思い出に、囚徒の姿は欠かせない。切っても切れない縁にある。年端もいかない少年時代、彼はまったく罪人どもの姿を見ながら大きくなった。

(『Stray』より)
これは別段、彼の生家が刑務官のお役目で、父の職場に頻繁に出入りしていたからだとか、そういう特殊事情には、綺麗さっぱりこれっぽっちも因ってない。ただ単純に、彼の生まれて間もない時分、明治前半のあの頃は、懲役刑の
塀の
「今の囚徒は刑務所内の作業といふ事になってゐるが、その昔は他所行きが原則になってゐた。われらの邸内でも一寸した土工にまで囚徒を雇った事がいまだに記憶に残ってる。毎朝時刻をかぎって赤い獄衣の囚徒が腰から腰へ鎖でつながれ、二人づゝ一列になって何十人となく長い縦隊をつくって、監獄をあとに市中へ練り出す。夕刻にはまた監獄へ引きあげる。この囚徒の行列が繰り出し繰り込む毎に、われらは毎日のやうに飽かず感心して? 見物する。孟母三遷の教へといふ事がある、考へて見るとおれはよくもまあ泥棒にならなかったものだ」
実際問題、子供の情操教育に、これはプラスであったのか、それともマイナスだったのか。
「あんな風になりたくなければ、礼儀正しく、真面目に学んで、努力して、立派な人間になるんだよ」
と、説教の材に好適そうではあるのだが──。
説教といえば志賀直哉、誰知らぬ文豪たる彼は、子供を叱るということがひどく苦手で、どうにもそれをせねばならなくなる度に、名状しがたい後味の悪さ、精神的な大重圧を抱え込まずにいられない、そういう
「子供を怒ったりなんかして、いぢけられるのをみるのはかなはんね。それは非常にいやだね。だから怒ると、何かで取返しをつけようと思ふね。だから此方は怒る度に何処かに連れて行くとか、前から欲しがってゐたものをやるとか、必ず此方は損なんだ。子供を怒りっ放しには出来ないね」
里見弴との対談で、このような告白を行っている。
同じ文豪仲間でも、我が子に対する態度に於いて、夏目漱石とはまた非常なる差異だった。
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