これは下村海南が伝えてくれた情報だ。
戦前昭和のある時分、沖縄、名護の片隅に、天刑病──癩病患者の療養所を建てる計画が浮上した。そのあたりには以前より、顔の崩れた浮浪者どもが群れをなして存在し、これをいつまでも放置するのはあらゆる面から好ましくないと判断されたが故だった。
(Wikipediaより、昭和二十年四月の名護町)
が、この計画。
ごく健全な地元民からしてみれば、絶対に呑めない論外の沙汰。冗談ではないふざけるな──と、激昂に値したらしい。
ひとたび公表されるや否や、ものすごい反撥を惹起した。
当局の如何なる懐柔策も功を奏さず、宥めること能わずに。──ヒートアップの一途をたどる市民らは、問題の
浮浪小屋に火をつけて、自分たちの地域から──あるいはいっそこの世から──追い立てにかかったのであった。

(『プレイグ テイル -レクイエム-』より)
これもまた、NIMBY問題の一種であろう。
「必要性は認めるが、俺の近所ではやめてくれ」。
福澤諭吉も手こずらされた、逃れられない大衆のエゴ。伝染病研究所に纏わる騒ぎが「明治のNIMBY」であるのなら、名護に於ける一件は、さしずめ「昭和のNIMBY」か。
また、海南は名護の、沖縄の人々が特別同情心を欠いているのではないのであると示すため、
「所沢に近い村山に全生病院をつくるべく地所検分に出かけた人達も土地の人達から襲はれてひどい怪我をした事もあります。それは誰しもさうした患者の療養所が近くに建てられる事は迷惑に思ふに相違ありません。しかしそれだけに収容し隔離して、日本から病毒の絶滅をはからねばなりません」
こんな具合いに本土に於ける事例をも、併記するのを忘れなかった。
(Wikipediaより、下村海南)
「毎年兵役検査の時に百人近くの癩患者を発見する。それから兵役検査のときは兆候はないが、入営中に発病するのが、先づ十人前後あるさうであります。何れにしても海外先進国では殆ど其の例を見ないほど癩患者が日本に多すぎる。しかも一般の民衆は只これを嫌ふことだけ心得てゐて、この不幸なる患者を心から慰めてやらう、さうした病毒をなくしてしまはうと云ふ教養に欠けてゐる」
日本の人口問題に誰より強い危機感を持ち、優生学的発想に基く人種改良にも意欲的だった海南だ。
必然として、癩や結核──「民族の体質を弱める」諸種の病に対しても尋常ならざる興味を向けて、情報を
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