ショートスリーパーに憧れる。
人生は短いのだ。読める本の冊数も、聴ける音楽の曲数も、自ずと限定されてくる。であるが以上、有意に過ごせる時間というのは多いに越したことはない。日々のあらゆる雑務同様、睡眠にも効率化を図るのは、人間性の赴く必然、ごく普遍的な欲求だろう。
沢田正二郎という人がいた。
大正時代の人気役者だ。が、この文脈で持ち出す以上、単にそれだけでは有り得ない。
「沢正」の愛称で親しまれたこの彼は、彼自身の立ち上げた劇団「新国劇」の結成十周年を記念する祝賀会の席上で、
「私の此の十年間何一つ諸君の前に自慢らしく申上げる土産を持ってゐない。然し只一つ眠りと戦って見事に勝通して来たといふことが自慢になると思ひます」
こんなスピーチを行っている。
事実、沢正の睡眠時間が平均ものの四時間前後に過ぎなかったということは、ジャーナリズムを媒介に──今も昔も大衆は、芸能人の私行暴きに多大な興味を払うのだ──広く知られたところであった。

(『まつろぱれっと』より)
ショートスリーパーの定義とは、「一日六時間未満の睡眠でも日中のパフォーマンスが低下しない」人のことを指すらしい。
しからば即ち沢正をその一員にカウントするのに、何の迷いも要らぬのである。いやはや羨ましいことだ。多年に亙る実験で、筆者は自分がショートスリーパーになれないことを厭というほど知っている。一日最低六時間は眠らぬと、それより以後のパフォーマンスがみじめなまでに低下する、ごくありきたりな体質に生まれついていることを──。

上の画像はこの前の神田古本まつりにて購入した古雑誌、『婦人世界』の片隅に
怪しげな文面に眼を通し、ふっと苦笑した刹那。ここまでつらつら書いたこと──沢正に関するあれこれが、記憶の底から急速に、意識の
その唐突さに、我が事ながら驚かされて、ここまで一気に書き上げた。
連想という現象は、何が引き金になるのやら、時折わけがわからない。
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