穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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腐肉生肉ノベリスト


 ある童話作家が言っていた。


 文学者としての自分なんざァ、しょせん市場の腐肉売りも同然よ、と。

 

 

(『プレイグ テイル -レクイエム-』より)

 


 最初ハナからそんなヤクザな仕事をしたかったのでは、むろんない。


 清冽な希望に燃えていた若々しい時期とても、確かに彼にはあったのだ。


 が、その若さは、結局何にもならなんだ。いっとき血に火を点けただけ、口から煙を吐いたばかりであたら無為に費消した、棒に振ってしまったと、少なくともご本人にはそうとしか思えなかったようである。

 


「文学とは(換言すれば)畢竟私にとっては腐肉の市場のやうなものである。ナマで新鮮な肉をも嘗ては私も持ってゐた。が、私は遂にそれを料理することが出来なかった。私がそれを庖丁にかけて売り出す頃には、それはもう何等の味もない古肉になってゐたのだ」

 


 こんな短い一節だけでも思わず死にたくなるような、負の引力をべったり纏った、いと呪わしき自嘲であった。

 

 

(同上)

 


 時の流れは無常迅速。うかうかするとすぐに置き去り、乗り遅れの悲況に堕ちる。そういう事情を重々承知しながらも、結局おれはしくじった。ふと気が付けばどうにもならない旧物として、世の片隅の日の当たらないじめじめした路地裏に、無用に転がるばかりなり──。


 そうした悔恨、慚愧の念を感じ取れねば嘘だろう。


 彼の名前は百田宗治


 童謡中の珠玉として現在いまに至るも名の高い、「どこかで春が」の作詞者だ。

 

 

(『巫兎 - KANNAGI USAGI -』より)

 


 子供の情操教育に計り知れない貢献をした、そういう男の心の裏には、だがしかし、かくも陰鬱な深淵が口を開けていたらしい。


 否、むしろ、これあるがこそ、詠めたのか。


 最も純粋なイデアリストが、最も深刻なニヒリストと化す資質を有しているように。


 万斛の涙を漏らすまいとて被覆せしめた陽気さが、何より眩しく照るように。


 極端から極端へ、──両極は屡々一致する。こと人間の精神上で、それは存外、発生しがちな現象なのだ。

 

 このあたりの機微につき、

 


「人間は木と同じようなものだ。高みへ、明るみへ、いよいよ伸びて行こうとすればするほど、その根はいよいよ強い力で向かっていく──地へ、下へ、暗黒へ──悪の中へ」

 


 もっとも見事に、鮮やかに、闡明してのけたのがフリードリヒ・ニーチェなる偏屈漢だったろう。

 

 百田の根はさぞ深々と、厚い岩盤を割ってまで蔓延っていたに違いない。

 

 

 

 

 


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