ある童話作家が言っていた。
文学者としての自分なんざァ、しょせん市場の腐肉売りも同然よ、と。

(『プレイグ テイル -レクイエム-』より)
清冽な希望に燃えていた若々しい時期とても、確かに彼にはあったのだ。
が、その若さは、結局何にもならなんだ。いっとき血に火を点けただけ、口から煙を吐いたばかりであたら無為に費消した、棒に振ってしまったと、少なくともご本人にはそうとしか思えなかったようである。
「文学とは(換言すれば)畢竟私にとっては腐肉の市場のやうなものである。
こんな短い一節だけでも思わず死にたくなるような、負の引力をべったり纏った、いと呪わしき自嘲であった。

(同上)
時の流れは無常迅速。うかうかするとすぐに置き去り、乗り遅れの悲況に堕ちる。そういう事情を重々承知しながらも、結局おれはしくじった。ふと気が付けばどうにもならない旧物として、世の片隅の日の当たらないじめじめした路地裏に、無用に転がるばかりなり──。
そうした悔恨、慚愧の念を感じ取れねば嘘だろう。
彼の名前は百田宗治。
童謡中の珠玉として

(『巫兎 - KANNAGI USAGI -』より)
子供の情操教育に計り知れない貢献をした、そういう男の心の裏には、だがしかし、かくも陰鬱な深淵が口を開けていたらしい。
否、むしろ、これあるがこそ、詠めたのか。
最も純粋なイデアリストが、最も深刻なニヒリストと化す資質を有しているように。
万斛の涙を漏らすまいとて被覆せしめた陽気さが、何より眩しく照るように。
極端から極端へ、──両極は屡々一致する。こと人間の精神上で、それは存外、発生しがちな現象なのだ。
このあたりの機微につき、
「人間は木と同じようなものだ。高みへ、明るみへ、いよいよ伸びて行こうとすればするほど、その根はいよいよ強い力で向かっていく──地へ、下へ、暗黒へ──悪の中へ」
もっとも見事に、鮮やかに、闡明してのけたのがフリードリヒ・ニーチェなる偏屈漢だったろう。
百田の根はさぞ深々と、厚い岩盤を割ってまで蔓延っていたに違いない。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓
![]()
