穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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偶然の詩

 


「君去って我が外交を如何せん」

 


 明治三十年八月二十四日、陸奥宗光、永眠す。


 その報せを得るや否、黒田清隆の肺腑より絞り出された慟哭である。

 

「我が」とはむろん、日本帝国そのものを指していたに違いない。

 

 

Mutsu Munemitsu

Wikipediaより、陸奥宗光

 


 川柳になっている。


  きみさって
  わががいこうを
  いかんせん


 促音、即ち小さな「っ」の字は一音にカウント可能であるゆえに──やっぱりそうだ、五・七・五の美の形式カタチ 。口ずさんで快い、洗練された言葉の流れ。芸術化された日本語の、いと麗しき調べであった。

 

 

 


「亡き友よ、この句を君に捧ぐ」とか、黒田にそんな意図ありきとはとてものこと思えない。


 十中八九、偶然の産物だったろう。


 たまたまそうなっただけのこと。そうに決まっているのだが、それにつけても、なんとまあ。なんてタイミングで、なんて符号が起こるのか。


 さながら天然自然の詩。運命も味な真似をする。歴史の砂に埋もれた、ごくささやかな奇跡であった。

 

 

 


 伯は平素因循姑息の風を忌み、常に薩摩絣に朴歯の下駄を穿き、闊歩壮言、遥かに凡俗の上に出る風があった。而して相撲を好み、庭前に土俵を築き、力士を召して其の技を試みしめ、数百金の祝儀をも惜気なく与へたから、誰言ふとなく「相撲大盡」と称するに至った。


──山口愛川著『波乱立志 大臣』より

 

 

 

 

 


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