「君去って我が外交を如何せん」
明治三十年八月二十四日、陸奥宗光、永眠す。
その報せを得るや否、黒田清隆の肺腑より絞り出された慟哭である。
「我が」とはむろん、日本帝国そのものを指していたに違いない。
川柳になっている。
きみさって
わががいこうを
いかんせん
促音、即ち小さな「っ」の字は一音にカウント可能であるゆえに──やっぱりそうだ、五・七・五の美の

「亡き友よ、この句を君に捧ぐ」とか、黒田にそんな意図ありきとはとてものこと思えない。
十中八九、偶然の産物だったろう。
たまたまそうなっただけのこと。そうに決まっているのだが、それにつけても、なんとまあ。なんてタイミングで、なんて符号が起こるのか。
さながら天然自然の詩。運命も味な真似をする。歴史の砂に埋もれた、ごくささやかな奇跡であった。

伯は平素因循姑息の風を忌み、常に薩摩絣に朴歯の下駄を穿き、闊歩壮言、遥かに凡俗の上に出る風があった。而して相撲を好み、庭前に土俵を築き、力士を召して其の技を試みしめ、数百金の祝儀をも惜気なく与へたから、誰言ふとなく「相撲大盡」と称するに至った。
──山口愛川著『波乱立志 大臣』より
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