どうも貝原益軒は、書見に臨む態度に於いて
彼もまた、実に多くを抜き書いた。
読書中、視線を紙上にさまよわせるうち、特に秀逸なアイディアや、論旨の要点、あるいはいっそ極めて啓蒙的である知識の発露に出くわすと、すかさず筆を取り上げて、別紙に己の文字として写す作業をやったのだ。
その夥しい努力の跡を「抄録集」と呼んだのは、大衆作家の生方敏郎。「かりにも本を無駄に読まぬといふ点で、古今に有名なのは貝原益軒である、現在博多に住む遺族の所蔵する益軒遺集の中に益軒が読んだ本の抄録集二部数十冊の写本がある。それらは益軒夫婦の合作で、博学な益軒の読書勉強ぶりをしのぶに十分のものがある。『この所養生訓に引く』なぞと卜書され、有名な益軒十訓その他の名著にいかに役立てられたかゞハッキリわかる」云々と、嘆賞まじえて述べている。
付箋を貼っておくもよし、蛍光ペンや色エンピツでラインを引いておくのも可。性癖同様、読書のクセは人それぞれで結構だ。
だがしかし、深く記憶にとどめたいなら、テンポの悪化を覚悟してでも自分の手指を動かすが、やはり一番に思われる。

(土佐の製紙風景)
古人は書を読まんとして購ふべき金がない時には人より借り来って行燈の下に之を手写した。立身出世に必要なる書物すら斯くの如くであった。況や小説の如き遊戯の閑文字をや。
太田南畝は其年七十を越へても猶人より書を借り来って之を手写してゐた。一人南畝のみならず苟も書を好むものは皆抄書を娯しみとなした。
──永井荷風
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