穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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ちくわを生んだ街


 焼きちくわの発祥は気仙沼であると云う。


 天然の良港で名の高い、東北地方のあの街だ。

 

 

 


 明治十五年前後、当地に於いて水産物の加工業をっていた菅野留之助なる仁が創意工夫を働かせ、アブラザメの身をすりつぶし、ジャガイモと混ぜ、形を整え熱を加えて始まった。


 最初は本当に文字通り、篠竹の串にすり身を通していたらしい。


 それが年を経るごとに、ちくわの声価が高まって、売り上げが伸び、資本もとでが殖えるに従って、改良を利かせる余裕も生まれ、現在のような鉄串による製造機械の発明も行われて来たそうな。

 

 

Chikuwa

Wikipediaより、一般的な焼きちくわ)

 


 ──そういうことが、昭和三十六年刊行、毎日新聞編集の、『日本の鉄道』に書いてある。


『ロシアを打診する』同様に、御茶ノ水ソラリティ古本まつりの収穫だ。


 ただの単なる交通機関の説明のみにとどまらず、その沿線の風土人情気象から、名所旧跡特産品等、通俗的な四方山話をたんまり載せた構成に、まんまと魅了されたのだ。

 

『経済風土記』の遺伝子を感じるのである、なんとなく。


 立ち読みで済ませてしまうには、ちょっと勿体なさすぎる。こいつは是非とも自室にて、じっくり読み込みたいものだ、と。そう思わされたという次第。一冊五百円という安価なところも、また購入の決め手であった。

 

 

 


 チリ地震の翌年に発刊された本だけに、それに関したあれこれも、当然ふんだんに盛り込んである。

 


気仙沼をすぎるころから、エメラルドの海が深く入りこむ湾内をのぞむ丘のあちこちに、津波記念碑が見えかくれする。太平洋外側地震帯に直面している三陸沿岸は、津波に痛めつけられてきた。ラッパ状にひろがっている湾に押し寄せてくる波は、岸に近づくにつれて大波となり、海岸にのし上がる。
 歴史上にのこっているものだけでも十二回、昭和八年三月三日の大津波では、唐桑町だけで七百人が死んだ。それらの尊い犠牲から生まれた教訓が、津波碑に深く刻み込まれている。いわく“地震があったら津波と思え”、いわく“三、四十年に一度は津波が来ると思え”“急に波が引いたら警鐘ならせ”などなど……。だが、昭和三十五年五月二十四日未明のチリ津波は、音もなく襲ってきたのである」

 


 東日本大震災の報道絡みで聞いた単語がチラホラと。


 そうだ、そうとも、上の碑文の数々が如何に当を得ていたか、2011年3月11日我々は、不幸にも目の当たりにさせられた。空襲にでも遭ったが如く大炎上する気仙沼の情景は、いまだに忘れがたいものだ。

 

 国家にとって、治水は宿命的な義務。古人の教えはつくづく以って馬鹿に出来ないらしかった。

 

 

 

 

 


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