明治四十年前後、徳冨蘆花がこんな風に吼えていた。
「先に古人あり後に来者あり、古人と後人は我に於いて結び付けらる」
やがて来たる者たちのため、かつて来たりし者たちの千姿万態とりどりを、俺が明示し置いてやる、と。
現在を生きる我が筆で、未来の奴らは過去の事情を存分に知るがよかろうさ、と。
敢えて砕けた物言いに変換を試みるならば、そんな調子ではないか。
あっぱれである。実に見事な心意気。祝福すべき気宇の壮大さであった。時の大河を鳥瞰しての物言いは、史に携わる者として模範的ですらあろう。
蘆花の誕生は明治元年、だからこれを言ったとき、彼は四十路の入り口を彷徨していたことになる。
肉体機能低下の自覚をそろそろせずにはいられない中年の身でありながら、よくぞこの気が、これだけの気が吐けたもの。「天才は一般の人々が、ただ一度しか持つことの出来ない青春を、幾度も繰り返し経験する」とは、確かゲーテの箴言だった。目元のシワがいくら増えても、心はたるみを寄せ付けず、青年の張りを保ち続けた、蘆花とはそうした人物だったようである。
もっとも真に上の抱負を実現したのは蘆花本人にあらずして、彼の兄たる徳富蘇峰こそであろうが。
全百巻にも及んだ大著、『近世日本国民史』の山積を目の当たりにしたならば、きっと誰もがこの認識に頷く以外ないはずだ。

(『アサシンクリード オデッセイ』より)
──どうも前回、老いが若さがどうだこうだと論じた余熱が、筆者の中で未だ消化しきれずに、とぐろを巻いているらしい。
それを少々、吐き出させていただいた。
お目汚しご寛恕願いたい。
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