戦争勃発と物価騰貴は合わせ物。
何故かだなどと、理由をいちいち詮索するのも億劫だ。
人間世界の、もはや公理にさえも似る。
近くはロシアのウクライナ侵攻
ロシア・ウクライナの二ヶ国間の沙汰事で、既に斯くの如きザマ。
いわんや欧洲全体を焼き払わんばかりであった、一九一〇年代に於いてをや。
文字通り世界が一変するほどの大衝撃かつ大波紋に違いない。

三共株式会社の重鎮、湯浅武孫はその波を、あらん限りの智慧と努力で乗り切らんとした一人。実業界の志士と呼ぶに相応しい、彼の言葉に少々耳を傾ける。
「欧洲戦争は日本の為めに絶好の進展期を造ったので薬品が外国から来なくなるに従って薬価が高くなった、そこで算盤がとれるから三共が逸早くサルチルサン、サルバルサン、アスピリン等必要な薬品の製造を始めたのであるが、馴れないことゝて幾度か苦い経験を甞めさせられた。硝子管で試験しては成功しても愈々製造にかゝると必ず失敗する、書物と試験管では立派に成算が立っても、さて之を実地に動かすと、その設備の点に至って矛盾して
要するに。
クスリの輸入が途絶して値段が跳ね上がったので、奇貨居くべしと国産化の試みに乗り出したはいいものの、なんとクスリを

──なんということだ。
当時にあって、湯浅もさだめし閉口したことだろう。
語り口のはしばしに、苦悩の
ないないづくしの、こういう国がよくもまあ、ものの半世紀内外で「技術立国」の光輝を背負い、世界中から仰ぎ見られる立場へと攀じ登り得たものだった。
毎度々々のことながら、このあたりの消息に思いを馳せる度ごとに、不思議の感に打たれずにはいられない。
(Wikipediaより、三共株式会社の広告)
「三共」はその後幾多の変遷を経ながらも、平成十七年を期に第一製薬株式会社と経営統合することで、第一三共株式会社を発足せしめ、今日へと系譜を継いでいる。
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