白秋は努力の信者であった。
練習の礼讃者であった。
「継続は力なり」を真理と仰いで微塵の疑念も差し挟まない男であった。
と言うよりも、日夜努力を継続し、綴方の修錬を積んでいなくば不安と恐怖で精神を狂わせかねないやつだった。
──何に対して。
との疑いが、ここで当然、起きていい。白秋は何を恐れていたのか、不安の対象は何なのか。……

(中段右端に北原白秋)
言葉を撰んで紡ぎ合わせるあの
「ものの十日も無縁であると、わたくしごときは、生れて嘗て歌なるものは作ったことが無いやうな弱気に襲われて了ふ、筆も指も固くなるのである。
一日サボれば自分が気付き、
二日サボれば周囲が気付き、
三日サボればお客が気付く。
元を糾せばさる高名なピアニストの言葉だが、白秋もまた同様の感覚世界に生きていたかと思われる。

ついでながら付け足すと、努力の価値をめぐっては近年議論が
すなわち『ゆうえんち -バキ外伝-』三巻に於いて示された、
「努力は、みんなしてるんですね。
たとえば、どの流派の大会でもいいんですけど、空手の試合でベストフォーに残るような人。
柔道でオリンピックに出るような選手。
水泳でも、陸上でもいいんです。
トップクラスの人は、誰でもやってる。
みんな、一日二十四時間努力している。
でも、どんなに努力したって一日二十四時間しか努力できないんですよ。
努力は、全員がするんです。
比べ合うためにです。
そう、才能ですよ。
才能を比べ合うために、努力してるんですから──
結局、才能。
でも、才能って、努力しぬいた人じゃないと、比べ合うことができないんですね。
どんな競技でも、最後は才能の比べ合いだとぼくは思っています。
だから、二十四時間努力しぬいた人だけが、才能を比べ合うことができるんですね」
この一連の

一読するなり、衝撃が走った。
星が落ちるような納得だった。
この文章が世に出た瞬間、努力と才能に纏わる議論は完璧に決着したものと、個人的には考えている。
至言の極みであったろう。
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