神戸牛の擁護者にして礼讃者。
三井王国の柱石が一、「大番頭」益田孝なる御仁には、そういう
(Wikipediaより、益田孝)
該ブランドにどれほど激しく心を寄せていたものか、端的に示すエピソードとして、次の如きが挙げられる。すなわち自己の経営下にある新聞紙、『中外商業新報』の社説欄を埋めるのに、あるとき自ら筆を執り、和牛至高論を打ち、神戸牛の味こそは肉類世界一であり、他の追随を許さぬと大胆にも言い切った。
すると間もなく政府の方から呼び出しが。内務卿品川弥二郎の名の下に、「すぐに来い」とのお達しである。
火急の用を隠そうともしていない。だいぶ異例な剣幕に何だと思って出向いてみると、
「あの記事はなんだ」
劈頭一番、待ち構えていたとばかりに内務卿の雷が落ち、
「せっかく政府が今アメリカから種牛を取り寄せて飼育して居る最中なのに、お前はその邪魔をする気か」
このような意味の文句をがみがみと、声を荒げて浴びせられたということだ。
が、それで恐懼しあっさり縮こまるほどに、益田孝は惰弱な性根をしていない。
「しかし閣下、閣下が如何に仰られても神戸牛が世界一であることは動かし得ない、明白な事実でございます」
訂正記事など毛ほども掲げる
いっそ清々しいほどの居直りを決め込んだのである。
「おのれ、なおもほざくのか」
業を煮やした品川弥二郎、
「そこまで強情張るのなら、よし、いいだろう、食べ比べてみようじゃねえか」
と、試食会の実施を決意。あれよあれよと場が整って、結果は、述べるまでもない。
出席者らは圧倒的に──品川自身をも含め──神戸牛を「上」とした。ベタもいいとこ、ほとんどまるで料理漫画の定番みたいな展開としか言いようのない景色だが。

しかしそれでも益田孝が日本の食糧事情に関しいたく心を寄せていたのは事実であって、小田原の別荘「掃雲臺」の敷地では、広さを活かした飢餓対策の研究なぞも盛んにしていたそうである。
すなわち「益田さんはあすこで養蚕もやり、豚も飼ひ、茶も作り、果樹の栽培もやってゐたのだ。食糧問題にも疾くから眼をつけて、斯う耕地が住宅、工場、道路、鉄道で減っていき、一方人口がどしどし増えるのでは何とかせねばなるまいと心配してゐた。第一次欧州大戦の時山縣公がドイツでは食糧の不足から野草を食べることを工夫してゐると、それを書いた書物を示されると、東北地方で飢饉の際に食べた野草を既に研究して、これこの通り、貴方も実際に嫁菜や蒲公英を浸し物にして召しあがって御座るではないかと答へたさうである」のだと。──平田禿木、昭和十五年の回顧から抜き書かせていただいた。
金持ちの散財法として、上等なのは疑いがない。これもまた、ノブリス・オブリージュの一つの形なのだろう。
「今日の時勢にああいう人が商工大臣と農林大臣を兼ねてくれていたならば」
と、非常時の叫びも
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