どうも酒屋の
わたしが好む詩人には、だ。春月しかり、白秋しかり、彼らはいずれも、憂いを払う玉箒の製造を生業とする家の出身なのである。
特に後者に至っては本人自身酒好きで、酒がテーマの随筆なんぞも、探せばいくらか見出せる。

(右が白秋。左は友人の池末早一)
わけても実家の酒蔵が火事で全焼した際の「思い出話」は秀逸だ。おそらく明治三十四年の沖端大火災に於ける記憶の描写であったろう。
曰く、
「酒で思ひ出します。私の生家は酒屋です。それが火事に遭うて酒蔵が焼けた時のことです。酒は燃えます、ぼうぼうと燃え上がりますよ。あの酒槽の框が焼けはぜる音、ボンボンと破れるのです。そして新酒四百石、古酒二百石、約六百石の酒が流れ出して、蔵の周囲を流れてゐる小堰に流れ込んだのです。酒の小川が出来ました。鮒やなんか魚の酔払ひが浮き出しました。火勢が強いので消防夫はもう手も出しません。そして、小川──酒の小川に首を突込んでぐうぐうそれを飲むのです。そのうちに消防夫共が酔払ひ出しました。火はいよいよ燃え盛ります。その時、私の父は一番いゝ着物を着て、その火事を見てゐましたよ」
この火事で、白秋の家は母屋と穀倉ひとつを残して焼失し、ために社稷が傾くほどの被害を受けたはずであったが、彼の筆致にそれを
どころかむしろ祭礼の日の田舎者らの馬鹿騒ぎでも見るような、変に痛快な感じさえ、読み手の心に湧かしめる。
「酒を飲むのは面白いです。酒ばかりやるんです。しかし酒はよくないやうです。どうも悪い。酒を飲んだ後で後悔せんといいのですが、後悔するだけが矢張り悪いんでせう。けれども、酒を飲んだ後では詩が出来ます。酔うてゐるうちではありません。醒めてからです」──どうもスランプ気味の昨今、
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