石黒忠悳が貴族院勅撰議員にえらばれたのは、明治三十五年のはなし。時あたかも第一次桂内閣が日本国の舵取りを担当していた頃である。
しかしながらこの選任は、べつに石黒本人が
推薦者は別にいた。
時の内閣総理大臣、桂太郎その人が、どうも強力に後押しをしたようだった。
そういう事情は、当たり前だが、任命の内示と
(あいつめ。……)
と、この五十男はそのとき咄嗟になにごとかを思ったらしい。
(Wikipediaより、石黒忠悳)
やがて奏薦の礼を言うため、桂のもとに出向いた際の情景こそ妙だった。
片や「座談の名手」の口達者、片や「ニコポン宰相」の鷹揚たる大長者。通り一遍の会話に終わるわけがない。先手は石黒からだった。あいさつもそこそこに、彼は
「聞くところによれば勅撰議員にならむと希望運動する輩が百人もある中から貴閣下に対しては自ら一度も希望せぬ此老人を召出さるゝ、殊更新聞紙の候補者の中にも嘗て名を見ぬ拙者が召出さるゝとは最も光栄の至りである、此上は貴族院議員たるの本分は及ばずながら盡す心得であるが、一も二もなく所謂御用筋の御誂向には応ずる訳には参らぬ、或事項によりては自分の信ずる所を守る為には貴桂内閣に反対する事もあらう、今日新任の御礼を申述ぶると共に慎で此一言は申述べ置く」
言辞こそ丁重なれど要するに、
──俺をイエスマンにできるなんて思うんじゃねえ。
と釘を刺したわけである。
礼にかこつけた、半ば挑発に近かろう。
気短な者なら、もうこの時点で眼をいからせて、
──表に出ろ。
と立ち上がっても何ら不思議でないはずだ。

が、これを受け、対する桂の反応は、怒るどころか少しも不快な色もなく、むしろ
「三十年の交ある貴君の事は不敏なりといへども太郎は熟知して居る、決して味方の軍勢を増加しようといふ考へでは貴君を奏薦はせぬ、但し拙者の遣口に善くないと思はれた事があったら、表門から攻撃する其前に一度は膝詰で友情として告げられ度いと希ふ」
──この末の一言が流石桂だ。
と、石黒は後にニコポンの

実際問題、この両名の遣り取りは、将棋に擬すれば名人同士の伯仲した指し合いを観戦している如しであって、興趣が尽きることがない。
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