穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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怨嗟のニッティ


 イタリアには怨念がある。


 第一次世界大戦酣なるとき、連合側で参戦する見返りに、英仏が約した蜜のような条件を、戦後ごっそり反故にされた怨念が。


 期待が大きかっただけ、失望もまたのっぴきならない水準に。このためいっとき講和会議の舞台から、代表者らが「堂々退場」する事態になったほど。どこぞの愛国詩人なぞ、悲憤慷慨募るあまりに血涙を流さんばかりの態で悔しがり、結句暴発、義勇兵を引き連れて「未回収のイタリア」を強引に回収せんとするロマンティックな軍事行動に敢えて踏み切る椿事もあった。

 

 

Gabriele D'Annunzio 1922

Wikipediaより、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ

 


 ──話が違うではないか。


 この叫びこそ戦後のイタリア人たちが不断に腹に蓄えている、「民族の聲」であったろう。


 フランチェスコ・ニッティの主張も、そのあたりの事情を踏まえ、幾分か割引した上で味わう必要性がある。


 左様、ニッティ。


 イタリア王国第53・54代首相を務めたこの人は、当然ながら戦後に於いて、ヴェルサイユ体制の欠点・不合理・醜さを事あるごとに暴き立てては罵り倒す、一個の鬼へと変化へんげした。

 

 

Francesco Saverio Nitti 1920

Wikipediaより、フランチェスコ・ニッティ)

 


 彼がヴェルサイユ条約の、ひいてはパリ講和会議のすべてを呪っていたことは、

 


誰が欧州大戦の責任者であるかといふ事は非常に困難なことである──尤もヴェルサイユ条約にはこの責任がドイツ及び中欧連合国側に在りと明記されて居るが、斯の如きはドイツが強ひて責任ありとされただけで、何等の重大さも有ったものではなく、要は戦勝者が勝手に宣告したに過ぎない

 


 上の発言ひとつをとっても透かし見るように明瞭だろう。


 そも、ニッティ的世界観に則れば、一九一八年の停戦からして英仏の欺瞞、嘘、詐略、奸謀の果ての産物ということになっている。

 

「懐疑的な誠実さを持ったクレマンソー氏は率直に平和は戦争の道程なりと称したが、事実戦争は軍事占領、虚偽、掠奪へと今尚続いて居るではないか。大戦中仏国は自由と民主主義の為めに戦って居ると自称し、大戦は将来戦争の禍因を根絶し、斯くて得たる平和は軍備は撤廃され国民主義は勃興して永久性のものであらうといった、にも拘らずドイツがウィルソンの十四条の宣言を信じ且つ飢餓に苦しめられて愈々降伏し、交戦国が武装を撤去すると、今度は却って仏国は軍国主義者と早変わりし賠償不履行を楯に、飽く迄ドイツの息の根を止めんと主張した。仏国の軍事占領の恐怖すべきは諸君の知らるゝ通りである──筆者わたしの中のヴィルヘルム・クーノが「そうだ、そうだ」と拳をふりあげ、首の骨が折れんばかりに頷いているのを知覚する。

 

 

フリーゲーム『ヤークトボンバー』より)

 


 まだ終わらない。


 ニッティによるドイツ贔屓な主張は、だ。──「最も生産的な土地、即ち完全にドイツに属するザール地方や一千年以上もドイツに領有された上部シレジア地方は講和条約の規定に違反し、又国民投票にも問はれずにドイツから引離された。同様にルール地方講和条約も名誉の根本原則も無惨に踏みにじられてとうとう占領せられ、武装なき敵に対し仏国は日一日と挑戦している


 流石、情熱の国民だ。


 心臓を鷲掴みにするように聞く者の情感をもろ・・に打つ、みごとな雄弁ぶりである。実際問題、ニッティの分厚い胸の底から上の言葉を直接浴びせかけられて、フランスの「不正義」に怒らぬ者は当時おそらくなかっただろう。


 復讐の悦びに思う存分酔い痴れていたフランスは、己が味わう得意のぶんだけ、周囲の嫉妬を猛烈に駆り立てるということを、果たして気付いていたのか、どうか。

 

 

(イタリアの女たち)

 


 当時の欧州は、まさに火薬庫。「ヴェルサイユ条約はバルカン問題を解決せず、却って欧州全土をバルカン化せしめた」と書いたのは、確か下村海南だったか。


 この観察は、確かに的を射ていたのに違いない。

 

 

 

 

 


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