社会に於いて「映画」の占める勢力が、政治家にも実業家にも――誰にとっても無視できないほど拡大してきた
その勃興の勢いの、あんまりにもな著しさを不気味がり、なんとか頭を抑えんと手練手管を弄す手合いも、当然ながら存在していた。それはいい。そのこと自体は別条なんとも不思議がるには及ばない、作用反作用という物理学の初歩に過ぎない。
(Wikipediaより、大正時代の電器館)
ただ、しかし。ラダイト精神逞しい、抑圧側の面子の中に「国立劇場」の俳優連の名前さえ見出し得るということは、ちょっと興味に値する。
正味、偽らず告白すると、ハハアらしいなと思ったものだ。新規なモノを無闇矢鱈に恐怖し敵視し嫌悪する、如何にも日本人らしい頑迷固陋な保守性が彼の人々にもあったのか、と。
ところがどっこい読み進めるに従って、これがその実、日本の国立劇場にあらず、フランス国立劇場の
軽々に濡れ衣を着せてしまった、慙愧の念ゆえである。

(フランス、サン・ラザール停車場)
それは芹沢
「映画は芸術であるか、さうした問題が一九二〇年代には機会ある毎に論じられた。文芸批評家は一般に映画を芸術と認めたくないらしかったが、この新しい芸術は年々進歩して有名な舞台俳優を次々に誘惑した。しかし伝統的な国立劇場の俳優は『庶民階級の娯楽のために己の影を神秘的に写し出す』ことを潔しとしなかった」――このあたりなぞ「写真撮影は時として魂の一部を持っていかれるリスクを伴う」的な怪談、和風ホラーの一典型を想起して、やっぱりミスリードを誘う。――「ところが二六年の春だったと記憶する、国立劇場の若手女優で最も人気のあったマリー・ベルが時の文部大臣エリオの作『レカミエ夫人』の映画に主役を買って出てしかもその試写会が古典的なオペラ座で大統領の臨席のもとに、大祝典のやうに行はれるしまつに、それからといふもの国立劇場の名優達もそれにならって次第に垂幕に影を映すやうになった。『映画の撮影は運動の如くたのしい余技です』といふやうなことを、彼等は口を揃へて言ったが、実際は、フラン相場が騰貴して、生活難を切り抜ける手段であったらしい」
人間万事金の世の中。
真理は何度繰り返しても陳腐化しないそうだから、改めてここに言わせてもらおう。
差し迫った生活苦、耐え難い財布の軽さの前には伝統、格式、なんのその。
浮世の風の世知辛さは、日本だろうとフランスだろうと大して変わりないらしい。
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