大正から昭和へと、世が移らんとした頃だ。国産奨励の掛け声が、ついに映画界にまで波及した。
日活の根岸耕一が、
「一年二百八十万」
と繰り返し、口やかましく言っている。大日本帝国が外国映画輸入のために年々支払う金額が、それぐらいになるのだ、と。

需要はある。
人々は映画に飢えている。
その渇望を癒やすのに、いついつまでも舶来物に頼りきりでは情けない。日本人の欲求は日本人みずからの手で作られた、国産品で満たさずしてなんとする。各々大いに奮起せよ。これはひとえに映画会社の利益問題のみならず、最近大蔵大臣のご執心たるいわゆる国際貸借の改善とやらを図る上でも一役買ってくれるはず。──
なかなか大きな風呂敷広げて、気焔を吐いた根岸耕一支配人。
しかしながらそんな彼をしてさえも、ターゲットはあくまで国内、自分と同じ日本人に留まった。日本産のフィルムで以って欧米人を熱狂させる、邦画の輸出ということは、到底無理、無茶、無駄な試み、不可能と、諦観していたようである。

(viprpg『シェイディの葡萄踏み』より)
──人情風俗をあまりに異にするゆえに、西洋人には到底邦画の面白味は解せまい。
と、まるで近藤経一の──「ある一つの国といふか地方に生れた芸術は、到底その国の人以外には完全に理解もされないし、楽しまれもしない」──口移しのような観念の中に逃げ込んでいる。
そこが根岸の想像力の、いわば限界点だった。
まあ、
そのあたりまで考慮に入れると、やる前から諦めるなと、単純に根岸を責められもせぬ。

(ブラジル、コーヒー農園の日系移民)
映画の未来に関しては、寺田寅彦にも一家言ある。この人物はともすれば、今日のアニメの隆盛を透見したかの如き調子の随筆を、ところどころに書いているのだ。
「独立な芸術としての有声映画の目的は、矢張り既にあるものゝ複製ではなくて、寧ろ現実にはないものを創造するのでなければなるまい。折々余興に見せられる発声漫画などは此の意味ではたしかに一つの芸術である。品は悪いが一つの新しい世界を創造して居る。…(中略)…映画は舞台演劇の複製といふ不純分子を漸次に排除して影と声との交響楽か連句のやうなものになって行くべきではないかと思はれるのである」
「アニメは文化」と我々は、胸を張って言って良い。
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