警鐘を鳴らす者がいた。
力いっぱい乱打したといっていい。
いずれ来る嵐の姿が彼の眼には鮮やかに幻視されていたからだ。
彼の名前は高岡斉。
大阪市立工業研究所のトップ、所長の任に在った男だ。

(称名寺にて撮影)
この高岡の説くところを信ずれば、大正十一年既に、人造絹糸は天然絹糸を追い越した。少なくとも生産量の面に於いてはもはや逆転不能なほどに前者が後者を圧倒し、しかもその差は時間経過でこの先どんどん開いて行きそうなのである。
西暦にして一九二二年の段階で、「世界の天然絹糸の総産額は約六千五百万ポンドであるのに人造絹糸は八千万ポンドとなり、しかも米国ではこの内約二千三百万ポンド、即ち全世界の三割も製してゐる、日本は天然絹糸では世界第一等で全世界総産額の約八割までは占めてゐるが毎年米国の人造絹糸にジリジリ押しに遭ってゐる、そして日本では人造絹糸を僅かに二十三万ポンドしか製造しないので米国から十七万ポンドも輸入して、リボン、ネクタイ、襟、肩掛、靴下、手袋、窓掛、繻子、紐類などを作ってゐる状態である」。天然物が人工物に押し拉がれる、代用品時代の訪れはもう、すぐそこに。
大戦以前、「人造絹糸は到底生糸の敵たり得ない」と太平楽を吹いていた自称「識者」気取りらは、この現実を前にしてどんな反応を示しただろう。
素直に顔面蒼白と化し、手でも震わせていたならば、まだ可愛げがあるのだが。
(Wikipediaより、レーヨンの生地)
まあ、そのあたりは措くとして。
人工に圧倒される天然は、ひとり生糸に限らない。高岡の話頭は、次いで樟脳に飛び移る。
「日本の特産物である樟脳は世界の総産額九百万斤の殆どを台湾から出してゐるが、ソレ等はみな米国へ輸出し米国ではその七割までをセルロイドの製造に使ってゐた、処がこの頃ではテレピン油からとる方法に成功している」。こちらもどうやら何時までも安泰ではないらしい。
産業構造の転換期にあることは誰が見ても明らかだ。過去の栄光にいつまでも縋り付いているばかりでは、とてもこの先、生き残れない。体力が残っているうちに、新たな地平を開拓せねば。だがしかし、「言うは易し、行うは難し」の俗諺がこれほどぴったり当て嵌まる例というのも珍しく。
「発見者や発明家は、事業の毒である。機械にはさまった砂の小粒は、それにくらべると、まったく問題とするに足らない。──単に破損部分を取り換えるだけで、作業をつづけて行ける。しかし、万事がきちんと組織化されて、申し分なく動いているとき、新しい工程とか、新しい原料の出現は、まさに悪魔というべきである。ときには、悪魔よりも、もっと始末が悪い」──ジョン・ウィンダムに俟つまでもなく、大阪市立工業研究所の掲げる理想、「工業立国」実現までの道程は、険阻遼遠限りなかった。
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